2017年04月

旧岩崎邸庭園

湯島天神から歩いて春日通りを渡れば、すぐ近くにあります。
残念ながら建物や庭園などが、改修工事中でした。残念。
 
 
 
三菱財閥岩崎邸を公園として整備した場所で、本来は現在の四倍もの面積だったそうです。
建物は洋館、和館とに分かれており、どれも貴重な建物です。
 
見学者は比較的年齢が上の方が多いようです。
 
 
 
中に入ると豪華さに圧倒されます。
 
 
 
 
 
 
 
 
この部屋の天井は豪華な刺繍でした。
 
 
 
 
 
 
彫刻の数々も半端な物はありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
和館の書院床の間
 
 
 
 
 
表に出ると広い庭園になります。
建物はもっと豪華だったようです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
撞球室(ビリヤード)
 
 
 
 
 
 
 
現在の六義園、清澄庭園も岩崎家の物でした。
 
工事が終わったら、もう一度訪れたいと思います。
 
旧岩崎庭園  台東区池之端1-3-45  link
 
 
 

湯島天神

久しぶりの湯島天神参拝です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
各地の天神社には古いナデ牛があります。
歩き疲れて腰が痛くなったので、腰をさすりました。以前はしなかったのですが。
 
 
旅行中と思われる高校生が数人お参りしていました。
受験の季節には、かなりの人がお参りしています。
 
 
 
 
 
梅の時期にお参りしたときは、かなりの人出でした。
広場で猿回しをしていたのを思い出します。
 
 
 
 
梅の実が、かなり大きくなっています。
 
 
 
 
天神様近くの平野屋で輪袈裟を求めるのが今日二番の目的でした。
 
 
 
桔梗紋の輪袈裟は二点のみ、良いのがあってホットしました。
 
 
 
真言宗豊山派のは、かなり置いてあります。
都内は智山派は少ないので、仕方がないでしょう。
 

東京大神宮参拝

ここは東京のお伊勢様だそうです。
以前お参りしたのは10年程前です。都内をうろうろしている時、たまたま目にしたのでお参りしたことがありました。
無事到着しました。
 
 
若い女性の参拝者が多いので驚きました。男性は私を含めて3人だけです。
赤ちゃんを抱いた若い夫婦もお参りしていました。
以前お参りしたときは、せいぜい5人ぐらいだったと思います。
 
縁結びの絵馬と縁結び札がたくさん掛けてありました。
前来たときは気がつきませんでした。
いつの間にか縁結びの神社として、若い女性に人気が出てきたようです。
 
 
結婚式場として、縁結びにつなげたのでしょうか?。
この神社あたりは筑土神社の氏子地域で、氏子が少ないか、いないのでしょう。
優れた経営手腕がないと立ちゆかなくなるはずです。
神社やお寺も氏子・檀家にあまり頼らずに存続することを考えなくては行けない時代になっています。
飯田橋駅はすぐ近くです。
御茶ノ水駅から神田明神に向かいました。
 
東京大神宮 東京都千代田区富士見2丁目4−1 地図

筑土神社 千代田区九段

廃仏毀釈前までは平将門公を祭神としていましたが、天津彦火邇々杵尊に代えさせられました。

将門公は相殿に格下されています。

今でも将門公を主祭神として信仰している方もいるでしょう。

 

 

 

社伝を読むと何度か遷座しています。

現在の新宿区にある筑土八幡神社にも遷座していたことがあり、当時は筑土神社と称していました。

 

 

 

狛犬は千代田区内で一番古い石像です。

 

 

 

世継稲荷神社は嘉吉元年(1441)に飯田町に創建されました。

遷座を繰り返し、昭和29年に最後にここに祀られました。

 

 

 

力石は江戸中期以降の物と思われています。

若い人が石を持ち上げて力自慢をしました。

 

 

「奉納 元飯田町万屋」「中坂下」と彫られているようです。

 

筑土神社 東京都千代田区九段北1丁目14−21 地図link

 

 

境内の色々な花

境内には色々な花が咲いています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
藤は少し開きかけています。
 

保育園児が遊びに来ます

週に二回ほど近くの保育園児が遊びに来ています。
 
 
楽しそうな声が聞こえます。
 
 
 
 
 
 
 
小さい子供は、ボックスに入って帰ります。
 
 
 
 
前の通りの見通しが悪く、ここを渡るのは私たちでも気を遣います。
先生方も大変です。
 
また来てね。

足利学校

足利学校は日本で一番古い学校として知られ、平成27年に文化庁の日本遺産に認定されています。
創建は奈良から室町まで、諸説あるようです。
 
足利学校 link          文化遺産 link
 
足利学校前の参道商店街を南に行き、途中から左に行けば足利学校に着きます。
広い道から東に行けば孔子さんが出迎えてくれます。
 
休館日もありますので、調べてから行ってください。
 
 
 
今から40年ほど前にバイクで鑁阿寺に行った時は足利学校を知らず、日本で一番古い学校と書かれてあったので、急遽ここに寄りました。
それから鑁阿寺を含め、三度ほど訪れています。
 
 
 
今回一緒に来た仲間も知っていたのは私を除き一人だけ、他は全く知らなかったようです。
 
ここから入ると受付があり、JAF会員は少し安くなります。
まずはビデオのガイダンスを聞き、知識を入れてから学校内を散策しました。
 
 
 
 
 
方丈
 
 
 
孔子廟
 
 
 
方丈前の庭園
 
 
 
方丈見学前に一遊びです。
 
 
 
中には漢籍の国宝(複製)や文物、発掘品、パネルが展示されています。
 
漢字検定の初級に挑戦。
私はパスしました。恥をかきたくありません。
 
 
 
方丈裏にも素晴らしい庭園がありました。
 
 
 
 
 
 
歴代庠主(校長)のお墓
 
 
 
ここも鑁阿寺と同じく、四方を土塁によって囲まれ、東側の三方が堀となっています。
 
 
 
帰りに論語の冊子を買って帰りました。
 

鑁阿寺

太田の吞龍様からは北へ、名刹・鑁阿寺(ばんなじ)と足利学校に向かいました。ここは栃木県です。鑁阿寺link    境内
大日さんと呼ばれ親しまれています。
御本堂の裏側に車を止めました。
 
 
 
鑁阿寺は真言宗大日派の本山です。 鑁阿寺Wikipedia link
かつては真言宗豊山派でした。
かなりの末寺があったはずですが、鑁阿寺を含め5ヶ寺だけのようです。
他の末寺だったところとは、どのような繋がりを保っているのでしょう。
 
僧侶の養成、密教の正当性を引き継ぐ色々な儀式などがいい加減になっている単立寺院が、かなりあります。
ひどい場合は、お経や所作がめちゃめちゃの場合があります。
 
 
 
 
 
 
 
お寺の西側は、公園になっていました。
 
 
 
ここのしだれ桜も見事でした。
 
 
 
 
 
 
東側の庭園もお勧めです。
でも、誰もいませんでした。
 
 
 
ここの太鼓橋とお堀の景観は素晴らしいですよ。
寺の境内は足利氏の館跡でした。四方を土塁と堀に囲まれています。日本百名城に選ばれています。
 
 
 
 
 
おじさんが鯉にエサをあげていました。
 
 
 
鳩がやってきて、手のエサを食べています。
さらに太鼓橋の下には猫が鳩を狙っています。
 
 
 
鋭い目つきです。
 
 
 
この猫はあちこちを徘徊しているそうです。足利学校の帰りにも見かけました。
 
足利学校は鑁阿寺の道を挟んで南東にありますが、正面からしか入れません。
この参道のお店をのぞきながら、足利学校に向かいました。
 
 
 
鑁阿寺の参道には、多くの土産物店があります。
どこも古い歴史を感じる店構えです。
 
 
 
このお店では、仲間3人がお買い物です。
あちこち寄るので、帰りの時間が心配です。
 
 
鑁阿寺  栃木県足利市家富町2220  地図link        
 
 

史跡金山城跡ガイダンス施設と太田市金山地域交流センター

太田の吞龍様の後に史跡金山城跡ガイダンス施設と太田市金山地域交流センターにいきました。金山城跡link
 
 
 
実は金山城跡にも行きたかったのですが、時間の都合と山歩きが苦手な人もいましたので、山歩きはパスしました。
 
金山城跡は戦国時代の山城で、「日本百名城」に選定されています。
今から40年以上前に行った時はあまり整備されてなく、かなりの規模の山城であることだけが記憶にあります。
 
 
 
先程行った吞龍様から北方が山城跡のようです。
吞龍様やここからも散策できますが、本丸跡に駐車場があるようですので、そこから歩かれると良いでしょう。
 
 
 
この建物はかなり面白い設計です。
 
 
 
ここの施設の内容は興味が沸かなかったせいか、ほとんど覚えていません。
施設の女性職員と話したイノシシの話が面白く、結構楽しめました。
 
施設の近くに檻が仕掛けられており、年間60頭も捕まるそうです。
しかし、今年は2月にとれてから一匹も捕まらないそうです。
 
捕まったイノシシはゴミとして処分されるそうです。
解体する人がいなく、食用にするには危険なのだと言っていました。
 
私は、ずっと以前、埼玉県毛呂山町の養殖施設から逃げたイノブタがたくさんトン走しまし、豚の多産系遺伝子がイノシシとさらに交配し、各地に出没する原因となったとの説があります、と話すと興味深くうなずいていました。
あくまでも、そのような説があるだけです。
 
逃げた新聞記事は、埼玉版で大きく取り上げてあったと思います。
 

大光院 太田の呑龍様 群馬県太田市

呑龍様には数十年ぶりのお参りになります。
子育て呑龍として知られ、ずっと以前に熊谷の人が、呑龍様で名前を付けてもらったと話していたのを思い出します。
その人の近在では、かなり多くの人が名前を付けてもらっていたそうです。
 
大光院 Wikipedia link   
 
 
 
大阪城落城の時に落成したので、吉祥門と言うのだそうです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大光院幼稚園は申込者が少なくなったために募集を停止していました。
宗教法人だったこととから補助金が少なく、他の幼稚園と比べて高めだったのかもしれません。但し、他の幼稚園の例ですが。
 
 
 
 
 
 
境内に資材を運んでいました。
 
 
 
 
 
関東山野草展の準備だそうです。ググッとぐんま link
 
幾本かの古木は勢いがありません。
しだれ桜も枝が枯れていました。
樹木医に依頼して、樹勢の回復をしている寺院がかなりあります。
酸性雨の影響も多いのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
弁財天は太田七福神の札所になっています。
 
 
 
 
宝くじが当たりますように。
 
 
呑龍様を含む、歴代ご住職のお墓。
 
 
 
 
 
開基の新田義重公のお墓。
 
 
 
 
 
境内は緑も多く、散策にお薦めです。
 
 
 
 
 
大光院  群馬県太田市金山町37−8地図link
 

 

ページ上部へ