2017年08月

喪主は誰? お墓の継承者は誰? 住職無視の喪主もいます。

住職は何をしてたのかと、しかられそうな内容です。
 
以前はほぼ長男が喪主であり、お墓も長男が引き継ぎました。
 
 
 
しかし、時代の流れは大きく変わってきています。当寺ばかりではありません。
 
わずかですが、喪主が誰なのか、お墓の跡取りが誰になるのか、なかなか決まらないこともあります。
「お墓を放棄します」と電話があったきりで、連絡先も分からなくなったこともありました。その後、両親の火葬も後見人さん任せで、一切顔を出さなかったそうです。お骨はどこへ行ったのでしょう。
 
高齢の入院中の母親が喪主を務め、喪主挨拶の時、「入院中の母に代わり、長男の○○がご挨拶させていただきます。」だけでなく、お墓も放棄状態になったこともあります。
現在は嫁ぎ先のお墓のある娘さんが、取りあえず後を継いでいます。
 
少子化、子供が娘ばかり、子供がいない、結婚していない、親子が遠く離れて生活している、などだけが原因ではありません。
生き方の意識の違いかもしれませんが、親も子供もいずれ死を迎えることを意識しないでいたことも原因の気がします。
 
喪主をやるからには葬儀、供養は自分の思いのままやる。霊園も寺墓地も同じと考えていた人も複数いました。檀家を辞めた家もあります。
ある時、ご親戚から通夜の30分前に、本家より遙か高い位の戒名なのは何故かと電話がありました。
葬儀社と何宗でもする坊さん(?)をネットで依頼していたのです。
本家(当寺檀家)や奥さんの兄弟からも意見され、翌日には私が葬儀を勤めました。
 
男子が家を継ぎながらお墓は継がず、娘夫婦が墓を継いたこともありました。
 
 
以前ある葬儀屋さんに聞くと、お葬式を行わない家が増えたそうです。
都営団地近くでは、火葬だけが九割と言っていました。
下町でも四割程度しか葬儀をしないそうです。
 
ある宗教学者の書いた「お葬式は要らない」以降の流れがすごいようです。
なお、「月刊 住職」の記事によれば、この本は仕事の無くなった著者が、他の題名だったのを出版社の言われた題名に沿って書き直した本だそうです。
 
著者はオーム真理教の身方をして、サリン事件後マスコミから相手にされなくなった人です。
「月刊 住職」に記事を書かせてもらいながら、より金になった方が得と思ったのかもしれません。本人に取材しての記事でした。
 
現在各地の寺院墓地、霊園も申し込みが極端に減っています。
子供が遠方のため、お墓を移す檀家も年々増えています。
 
私が住職をするお寺はまだ良い方ですが、地方のお寺さんは、存亡の危機を迎えています。
50年後にはお寺の数が、半分になると言われています。実際地方では深刻な状態になっています。
お寺や神社も安穏としている時代ではないのです。
 
 
 

当寺の新聞 円泉寺通信

 

円泉寺通信

当寺で年4回出している新聞です。春彼岸、お盆、秋彼岸、暮れ正月号の年4回で、内容は毎回ほぼ同じです。

法話や仏事の歴史も入れるときもありますが、昨年同時期の記事に写真を入れ替え、日時を変更しているだけす。「○月○○日は何々があります。是非お参りください。」のような記事ばかりです。

裏面も入れて2ページの事もありましたが、知力が追いつきません。

数十年前に大先輩が、ガリ版刷りの葉書新聞を年10回ほど発行していました。

「内容はともかく、とにかく出すことが大事だよ。」と言っていたことを思い出します。

まねは出来ませんが、ワープロを購入してから一度も休んだことはなかったはずです。

新聞は、出すことが大事と言われたことが、事実だったことを今実感しています。

檀家数の多い寺院より、お墓参りが多く感じます。

実際、お参りに来られた方から、「どうしてこの寺は、お墓参りが多いの!」と言われたこともありました。

同じ儀式をしても、檀家の多いお寺より参加者が多く、「実家の菩提寺より参列者が多いですね。」などと言われたことが何度かあります。今年のお施餓鬼の参列者は、雨にもかかわらず、檀家の多い寺より遙かに多くの方がお見えになりました。

本山の印刷物も檀家さんにお渡ししていますが、同宗派寺院の檀家さんから、「このような本はもらった事がありません。」言われたこともあります。

菩提寺からは、○月○日までに、付け届けを銀行口座に入れてくださいの通知が来るだけと言っている方もいました。

読んでいない方も多く、経費は掛かりますが、少しは寺と檀家さんとの結びつきが強くなっていると思われます。

 

 

毘沙門天

毘沙門天像

縁あってお迎えした毘沙門(多聞天)様が、後背・宝棒・宝塔を加えてたくましくなって御本堂に祀られています。

古く見せていますが、結構新しい御尊像のようです。北方の守護神として、円泉寺を守って下さるでしょう。

 

 

毘沙門天掛軸

 

 

以前お招きした毘沙門天の掛軸です。結構気に入っています。

以前見つけた他の掛軸は、怖そうに書いてあるだけで、平面的な作でした。あのとき買わないで良かったと思っています。

それに比べると、この掛軸は遙かに立派です。

 

鞍馬山の毘沙門天

 
 

 

 

鞍馬山の毘沙門天お姿です。

『七難即滅 七福即生』の文は仁王経に説かれています。

室町時代になると、この文に即した神仏を当てはめた七福神信仰が生まれました。

しかし、今のように恵比須、大黒天、弁財天、毘沙門天、布袋、福禄寿、寿老人になったのは、江戸時代になってからのようです。八王子七福神のように、弁財天で無く「吉祥天」入っている札所もあります。

 

鞍馬山の毘沙門天信仰が盛んになり、七福神の中に入れられたのだそうです。

 

 

 

 

鞍馬山の天狗さんです。

「僧正坊」として知られ、全国の天狗の総元締めだそうです。

 

色々な伝承が有りますが、特に源義経の話がよく知られています。

皆さんも良くご存じだと思います。

まだ二十代のころ、先輩と鞍馬口から貴船神社まで歩いたことを思い出します。

本堂の七福神

当寺は武蔵野七福神(福禄寿)の札所ですが、本堂内に別の七福神を祀りました。全て新しくお招きした御尊像です。
 
この七福神様はお正月七草頃までのご開帳と致しました。
行事のたびに内陣にお移しするのが大変なためでもあります。
このために内陣は、ゴチャゴチャしています。

ご開帳期間外にこの七福神目当てにお参りに来られた方が何人もいます。
改めて来ていただくしかありません。

お寺に祀られているから、さぞかし高価だったと思う方もいるでしょうが、毘沙門様は光背と持ち物を新たにした方が遙か数倍も高額でした。
大黒様などは安いランチ二食分です。でも好きなご尊像です。
 

迷惑な勘違いブログ

まとめサイトにアチコチからコピーアンドペーストをして、記事を書いている人がいますが、時折ブログなどでも見かけます。
マッタク異なる施設なのに異なる画像が添付してあったり、違う場所を住所に書いていたりしています。
間違って行くかもしれません。
 
先日友人がテレビに出演しました。すると他宗旨の僧侶が、なんと友人が当寺の住職としてブログを書いていました。
テレビを見ていなかったことは明らかです。テレビ局の宣伝だけを見て書いたのでしょう。
政治家批判もしていましたが、あなたの宗旨寺院の檀家さんもいますよと言いたいほどの内容でした。
逆にそのブログを見て面白そうな寺と思い、直接見学に来た人が一昨日だけで3人いたそうです。
 
しかし、自分の宗旨は批判していないようです。
 
会ったことがない、行ったことがない、読んだことがないでもブログが書けるのですから、注意が必要です。
 

 

ある同じ地名では推理小説のトリックでも使われていました。さらに共に同じ施設があったのではだまされますね。私は途中で気がついていましたけれど。
でも本当の警察なら、気がつかないはずは無いと思いますね。
このような使用なら何ら問題はありません。ただ気がついた途端に面白みが失せました。
 
かつて群馬県には三カ所に東村がありました。これも他県の人にとっては、とんだ大間違いがあったと思います。
ある仏様を調べていて、どこの東村か確認に手間取ったこともあります。
平成の大合併で聞いたことがない地名になり、味気なくなりました。
 
私は書く限りは、かなり調べてから書くようにしています。
ここのブログも本や資料を取り寄せたり、何日も何ヶ月も調べてから書いているものもあります。
現地に二度調べに行ったこともありました。
 
間違いだったことに気づき、後日訂正したこともあります。
間違いを読んでしまった方、申し訳ありません。
まだあるかもしれません。
 

善光寺式阿弥陀三尊図と他の三尊図

当寺の善光寺式阿弥陀三尊図です。掛軸になっています。

 

一つの光背に中心が阿弥陀如来立像。向かって右が観世音菩薩。左が勢至菩薩です。
 善光寺でお参りできるのは、お前立本尊であり、ご本尊様は秘仏となっています。

下は善光寺で発行したお姿だと思います。この図をもとに描かれた掛軸です。

下の台座の二人は信者で、毘舍離国の月蓋長者と娘の如是姫だそうです。
善光寺で発行したお姿札にも、このお二人が描かれています。

もう一点の善光寺式阿弥陀三尊掛軸です。

 

善光寺以外の三尊図です。これらも掛軸です。普通はこのような来迎図が多いと思います。

 

 

復刻された屏風図です。

 

8年前のテレビ出演

今から8年前の画像が出てきました。古い話で申し訳ありません。
「味いちもんめ」の通夜のシーンでの出演です。
最初は戒名だけの依頼でしたが、ADから出演を打診され、一度だけなら経験したいと受けました。
 
でも待ち時間の長いこと長いこと。
 
 
控え室は暖房があるので良かったのですが、収録現場の隣は、だだっ広いだけで寒々としていました。
何度もトイレに駆け込みました。
 
スタッフが気を聞かせて、ストーブのある所に案内してくれました。
しかし、あたっているのは某有名俳優さんと女優さんでした。
 
あの時の二人の会話を録音して、週刊誌に売ったらば、良いアルバイト代になったかもしれません。
あの内容では、価値なしと言われたと思いますが。(そんなことは、しませんけれど)
 
写真で見るより、もっと多くの俳優さんが出演しています。
テレビで見ると、実際に映っている人は、前列の親族役と一般焼香の有名俳優さんぐらいでした。
本番になると後ろ向きでしたので、誰がいるのか分かりません。
先日亡くなった某有名女優さんの声は分かりました。
一つ気がついたことがありました。
すぐお焼香のシーンでしたが、ローソクを着けてすぐでは、上の部分が山のようなので、もう少しロウソクが短くなってからでないと、おかしいですと言わせていただきました。
お焼香は何回なのかと出演者が言っていましたが、あえて黙っていました。
某有名女優さんの意見で二回となりました。菩提寺が曹洞宗なのでしょう。
最期にお経の録音です。
一般のお焼香シーンでしたが、抑揚の無い、時間的にあり得ない部分を選びました。
真言宗の僧侶なら、すぐ気がついたと思います。
テレビで見ると、やはり私の姿はほんの少しでした。
お経はもう少し長かった程度です。

終わってから、お愛想でまた出演を依頼されましたが、即お断りしました。愛想が無いと思われたかもしれません。
俳優さんはトイレをどうしているのでしょうね。私以外トイレに行く人を見ませんでした。
 
とにかく、あの寒い場所にいながらです。私には俳優は顔、姿、才能も含め、無理なようです。
この後、出演料の話になりましたが、いただかないことにしました。
一度だけ経験すれば良いと思っていたからです。
このテレビドラマのDVDが発売されています。
 
その後もADさん、ADさんの紹介、ホームページを見た方からドラマや演劇で使用する戒名の依頼が時々あります。
これも料金はいただいていません。何事も経験です。
但し、まともに戒名が映っていたのは、一度だけでした。
※芸能界の方々は大変ですね。
十分食べていける人は、ほんのわずかです。
今回の撮影にテレビドラマの端役で出演している女優さんもいましたが、全く映っていませんでした。
 
以前知り合ったADは、芸能界は魔界だと言っていました。今は田舎に帰り、学習塾を経営しています。
この撮影で分かったことは、華やかな部分はほんの一部だけ、多くの無名の方々が協力し、支えているのが分かりました。
皆このお仕事が好きなのでしょうね。
 
実はこの件は書くつもりはなかったのですが、ここのブログでも紹介している友人が先日テレビ出演しました。
彼は何度もテレビ局から依頼されて出演しています。雑誌の取材もかなり頻繁にあるようです。
それが宣伝になり、仕事の依頼が増えるのですから、積極的に出演しているようです。
 

ホームページをリニューアル致しました。

しばらくの間、検索等におきまして、ご迷惑をおかけすると思います。

特にブログは新URL移行に伴い、認識されるまでの間、トップページが表示されます。

リンク先が表示できないブログがほとんどとなりますので、順次変更する予定です。

よろしくお願い申し上げます。

 

 

日天月天の掛軸

40年前ですが、先輩に十二天の版画を見せていただいたことがあります。いずれ彩色を施して屏風にすると話していました。

私もと思ったことがありましたが、高価すぎてあきらめていました

十二天 Wikipedia          

十二天は無理でしたが、運良く「日天月天」の掛け軸をお招きすることが出来ました。

 

 

日天

 

月天

手には八咫烏(やたがらす)とウサギの玉を持っています。

十二天はインドの神々ですので、この掛け軸の絵は、明らかに日本的な考えを取り入れた図です。

 

睡蓮

岩殿弁天様の池にわずか一輪だけですが、ピンクの花が咲きました。
 
イメージ 1
 
日陰ですから睡蓮には良い環境ではありません。
 
 
可憐ですね。
毎年咲いてくれると良いのですが。
 

三面大黒天(摩訶迦羅天)・摩怛羅神曼荼羅図

最近求めた掛軸です。

妙見菩薩・摩多利神(またりじん)・摩多羅神(またらじん)の関連を調べる過程で、お寺にお招きできました。  摩多利神と三面大黒天の関係 ブログlink

三面大黒天は天台宗系の大黒天、毘沙門天、弁財天が三体合体されている御尊像が知られていますが、この図は三面とも憤怒相のお顔です。胎蔵界曼荼羅にある大黒天(摩訶迦羅天 マカカーラ)と同じです。

 

 

Wikipediaの大黒天の説明に「胎蔵界曼荼羅での大黒天は、シヴァとその聖なる白牛ナンディン(白い水牛が中国や日本で認識されずに、山羊や兎の姿で誤描写)を降伏させている立像で身の丈は通常は五尺である。」とあります。

この三面大黒天(摩訶迦羅天)は天部の神で、三面六臂の憤怒相、象の皮を背後に広げ、羊と人間を両手でぶら下げ、剣を横に持ったお姿です。

 

三面大黒天

 

下は摩多利神のお姿です。前橋市金剛寺

 

しかし、この掛軸にある大黒天図周囲八体の御尊像は、今まで見たことがありませんでした。香川県三豊市の天台宗長林寺の摩怛羅神曼荼羅図とほぼ同じでした。

民俗学伝承ひろいあげ辞典の資料に、三面暴悪の大黒天を中心に周囲に八天女を配した曼荼羅、この八天女を七母女天(摩怛利神)・梵天女とし、摩多羅神を摩怛利神として供養する摩怛利神法が修法された。とあります。

八天女の内七天女は、打ち出の小槌を持っています。ほとんど同じお姿をしています。大黒天と意識的に関連づけたように思います。

 

七母女天の内、下中央は四面で上部を除き三眼です。あるいは梵天女なのかもしれません。

川村湊氏の「牛頭天王と消された異神たち 蘇民将来伝説」によると安楽律騒動で天台宗が否定した摩多羅神(またらじん)を再度正当化するために、仏教の正当な神である七母女天(摩多利神)と同じとされたようです。
このことから、この図は天台宗の安楽律騒動以降の作品だと思います。
 
福島市の観音寺さんのブログに憤怒相の三面大黒天が紹介されています。link
 
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