喪主は誰? お墓の継承者は誰? 住職無視の喪主もいます。



当寺で年4回出している新聞です。春彼岸、お盆、秋彼岸、暮れ正月号の年4回で、内容は毎回ほぼ同じです。
法話や仏事の歴史も入れるときもありますが、昨年同時期の記事に写真を入れ替え、日時を変更しているだけす。「○月○○日は何々があります。是非お参りください。」のような記事ばかりです。
裏面も入れて2ページの事もありましたが、知力が追いつきません。
数十年前に大先輩が、ガリ版刷りの葉書新聞を年10回ほど発行していました。
「内容はともかく、とにかく出すことが大事だよ。」と言っていたことを思い出します。
まねは出来ませんが、ワープロを購入してから一度も休んだことはなかったはずです。
新聞は、出すことが大事と言われたことが、事実だったことを今実感しています。
檀家数の多い寺院より、お墓参りが多く感じます。
実際、お参りに来られた方から、「どうしてこの寺は、お墓参りが多いの!」と言われたこともありました。
同じ儀式をしても、檀家の多いお寺より参加者が多く、「実家の菩提寺より参列者が多いですね。」などと言われたことが何度かあります。今年のお施餓鬼の参列者は、雨にもかかわらず、檀家の多い寺より遙かに多くの方がお見えになりました。
本山の印刷物も檀家さんにお渡ししていますが、同宗派寺院の檀家さんから、「このような本はもらった事がありません。」言われたこともあります。
菩提寺からは、○月○日までに、付け届けを銀行口座に入れてくださいの通知が来るだけと言っている方もいました。
読んでいない方も多く、経費は掛かりますが、少しは寺と檀家さんとの結びつきが強くなっていると思われます。
縁あってお迎えした毘沙門(多聞天)様が、後背・宝棒・宝塔を加えてたくましくなって御本堂に祀られています。
古く見せていますが、結構新しい御尊像のようです。北方の守護神として、円泉寺を守って下さるでしょう。
以前お招きした毘沙門天の掛軸です。結構気に入っています。
以前見つけた他の掛軸は、怖そうに書いてあるだけで、平面的な作でした。あのとき買わないで良かったと思っています。
それに比べると、この掛軸は遙かに立派です。
鞍馬山の毘沙門天お姿です。
『七難即滅 七福即生』の文は仁王経に説かれています。
室町時代になると、この文に即した神仏を当てはめた七福神信仰が生まれました。
しかし、今のように恵比須、大黒天、弁財天、毘沙門天、布袋、福禄寿、寿老人になったのは、江戸時代になってからのようです。八王子七福神のように、弁財天で無く「吉祥天」入っている札所もあります。
鞍馬山の毘沙門天信仰が盛んになり、七福神の中に入れられたのだそうです。
鞍馬山の天狗さんです。
「僧正坊」として知られ、全国の天狗の総元締めだそうです。
色々な伝承が有りますが、特に源義経の話がよく知られています。
皆さんも良くご存じだと思います。
まだ二十代のころ、先輩と鞍馬口から貴船神社まで歩いたことを思い出します。
当寺は武蔵野七福神(福禄寿)の札所ですが、本堂内に別の七福神を祀りました。全て新しくお招きした御尊像です。
この七福神様はお正月七草頃までのご開帳と致しました。
行事のたびに内陣にお移しするのが大変なためでもあります。 このために内陣は、ゴチャゴチャしています。 ご開帳期間外にこの七福神目当てにお参りに来られた方が何人もいます。 改めて来ていただくしかありません。 お寺に祀られているから、さぞかし高価だったと思う方もいるでしょうが、毘沙門様は光背と持ち物を新たにした方が遙か数倍も高額でした。 大黒様などは安いランチ二食分です。でも好きなご尊像です。 武蔵野七福神の毘沙門様は、浄心寺です。浄心寺ブログlink
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鬼子母神・吉祥天・毘沙門天・禅尼子童子は家族 ブログlink
当寺の善光寺式阿弥陀三尊図です。掛軸になっています。
一つの光背に中心が阿弥陀如来立像。向かって右が観世音菩薩。左が勢至菩薩です。
善光寺でお参りできるのは、お前立本尊であり、ご本尊様は秘仏となっています。
下は善光寺で発行したお姿だと思います。この図をもとに描かれた掛軸です。
下の台座の二人は信者で、毘舍離国の月蓋長者と娘の如是姫だそうです。
善光寺で発行したお姿札にも、このお二人が描かれています。
もう一点の善光寺式阿弥陀三尊掛軸です。
善光寺以外の三尊図です。これらも掛軸です。普通はこのような来迎図が多いと思います。
復刻された屏風図です。
追記 2020/08/13
小さな善光寺式阿弥陀三尊です
しばらくの間、検索等におきまして、ご迷惑をおかけすると思います。
特にブログは新URL移行に伴い、認識されるまでの間、トップページが表示されます。
リンク先が表示できないブログがほとんどとなりますので、順次変更する予定です。
よろしくお願い申し上げます。
40年前ですが、先輩に十二天の版画を見せていただいたことがあります。いずれ彩色を施して屏風にすると話していました。
私もと思ったことがありましたが、高価すぎてあきらめていました
十二天は無理でしたが、運良く「日天月天」の掛け軸をお招きすることが出来ました。
日天
月天
手には八咫烏(やたがらす)とウサギの玉を持っています。
十二天はインドの神々ですので、この掛け軸の絵は、明らかに日本的な考えを取り入れた図です。
最近求めた掛軸です。
妙見菩薩・摩多利神(またりじん)・摩多羅神(またらじん)の関連を調べる過程で、お寺にお招きできました。 摩多利神と三面大黒天の関係 ブログlink
三面大黒天は天台宗系の大黒天、毘沙門天、弁財天が三体合体されている御尊像が知られていますが、この図は三面とも憤怒相のお顔です。胎蔵界曼荼羅にある大黒天(摩訶迦羅天 マカカーラ)と同じです。
Wikipediaの大黒天の説明に「胎蔵界曼荼羅での大黒天は、シヴァとその聖なる白牛ナンディン(白い水牛が中国や日本で認識されずに、山羊や兎の姿で誤描写)を降伏させている立像で身の丈は通常は五尺である。」とあります。
この三面大黒天(摩訶迦羅天)は天部の神で、三面六臂の憤怒相、象の皮を背後に広げ、羊と人間を両手でぶら下げ、剣を横に持ったお姿です。
三面大黒天
※2020/04/20の「日本テレビ しゃべくり007」で、上の画像が使用される予定です。
下は摩多利神のお姿です。前橋市金剛寺
しかし、この掛軸にある大黒天図周囲八体の御尊像は、今まで見たことがありませんでした。香川県三豊市の天台宗長林寺の摩怛羅神曼荼羅図とほぼ同じでした。
民俗学伝承ひろいあげ辞典の資料に、三面暴悪の大黒天を中心に周囲に八天女を配した曼荼羅、この八天女を七母女天(摩怛利神)・梵天女とし、摩多羅神を摩怛利神として供養する摩怛利神法が修法された。とあります。
八天女の内七天女は、打ち出の小槌を持っています。ほとんど同じお姿をしています。大黒天と意識的に関連づけたように思います。
七母女天の内、下中央は四面で上部を除き三眼です。あるいは梵天女なのかもしれません。