北向観世音 群馬県高山村
群馬県内の妙見菩薩を調べる過程で、お参りさせて頂きました。
ご住職に本堂で案内をして頂きました。
私がお寺の住職と話していましたので、遠慮がちな説明だったのではと思います。
妙見菩薩像は能勢形でした。
信者さんから託されて祀ったようです。
御本堂には歌手の八代亜紀さんが描いた観音さまの絵がありました。
※追記
八代亜紀さんの絵は、何点か増えているようです。
※2019/04/30 他のブログから移しました。
群馬県内の妙見菩薩を調べる過程で、お参りさせて頂きました。
ご住職に本堂で案内をして頂きました。
私がお寺の住職と話していましたので、遠慮がちな説明だったのではと思います。
妙見菩薩像は能勢形でした。
信者さんから託されて祀ったようです。
御本堂には歌手の八代亜紀さんが描いた観音さまの絵がありました。
※追記
八代亜紀さんの絵は、何点か増えているようです。
※2019/04/30 他のブログから移しました。
ずっと以前は有名でありながら、バスも週に何回か通わず、家内はかなり調べてから参拝していました。
今回は仲間が調べていきましたが、行ってみると観光バスはもちろん、路線バスからも次々と訪れていました。
京都にありますが、観光客は奈良からの流れで訪れています。私たちも同じです。
御本堂は九品仏(9体の阿弥陀如来)が祀られています。
有名なのは吉祥天女像ですが、9体の阿弥陀さまが気に入りました。
ご住職の法話もよく考えられており参考になりましたが、ほとんど忘れてしまいました。メモしておけば良かった。
池を中心に東向きの御本堂は、西方極楽浄土をあらわしています。
時代は新しいですが、江戸時代創建の世田谷区の九品仏浄真寺も同じように東を向いています。
三重塔には薬師如来が祀られ、本堂側から見れば東方瑠璃光浄土になります。
この古墳は蘇我馬子の墓と伝えられています。詳細は不明です。
古事記・日本書紀では蘇我氏を悪く書いていますが、後世の歴史書は事実を書いているわけでなく、後世に権力を握った藤原氏に都合良く書かれているようです。
大化の改新も事実と異なるとする説が、多く見られるようになりました。
開明派であった蘇我氏を滅ぼしたために、後の白村江の敗戦、壬申の乱に繋がる原因となったようです。
海外の事情をよく理解していたのが、蘇我氏だったようです。
日本最大級の石室古墳で、上部を覆う土がなくなり石舞台と呼ばれています。
石室内は他の古墳の多くとは規模が違います。
石舞台古墳の復元石棺
お土産に当時と同じ技法で作られた富本銭を買ってきました。
談山(たんざん)神社は藤原鎌足を祀る神社です。
廃仏毀釈以前は天台宗多武峰常楽寺でした。
まずは廟参所に入りお参りです。
十三重の塔は他では見たことがありません。ほとんどが石作りの塔です。
比延神社
長谷寺には総本山智積院にいた頃から数十年ぶりの参拝でした。
学生当時の先輩が、その頃ここに勤めていました。
長谷寺の回廊は長いために、先にに到着した人たちが途中休んでいました。
あと十数年すると同じようになると思います。
蔵王堂
御本尊・十一面観音さまが、特別拝観でした。足下まで近づいて、お参りできました。
以前は先輩に伴われ、やはり近くまで近づきお参りしています。時折特別拝観を行っているようです。特別拝観リンク
御本堂の観音さまをお参りして、全体を撮影したかったのですが無理でした。
この五重塔は昭和29年の建立です。
奥の院
真言宗豊山派総本山長谷寺リンク 奈良県桜井市初瀬731−1 地図
※追記 東京国立博物館本館において、令和元年6月18日より、岡寺、室生寺、長谷寺、安倍文殊院の四寺の仏様が展示されます。リンク
追記 2021/12/29
平成23年(2011)年4月にペット供養塔が完成し、本日11時より初めての合同供養を行うことができました。
まだ、知られていない施設ですので、納骨されている方は少ないです。
参列者は檀家さんの割合が多いです。ネットでここを選んだ方の方が多いのですが、段々増えていくと思います。
今回は神職の友人も助法してくれました。
全員にお線香を手向けていただきました。
この日を選んだのは、日曜日で季候が良い季節であり、11月第二日曜日が「ワンワン ニャン」になりますので、語呂合わせで選びました。
忘れっぽい私ですが、これなら覚えていられます。