2017年06月

直虎の子孫 井伊家菩提寺 豪徳寺 世田谷区

NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、ほとんど見たことはありませんが、他の番組で豪徳寺が出ていました。
井伊家の菩提寺が、滋賀県彦根市の龍潭寺・清凉寺、東近江市の永源寺、都内世田谷区にあります。
 
世田谷の豪徳寺は、名前だけは知っていましたが、これほど豪壮な寺とは思いませんでした。
曹洞宗豪徳寺  東京都世田谷区豪徳寺2−24−7
豪徳寺Wikipedia link   
 
彦根藩主二代井伊直孝の代に井伊家菩提寺となり、藩主としては直孝、直恒、直禔、直幸、直弼、直憲。他に正室や子供の墓があります。
 
 
長い参道を北に向かいます。
 
 
 
 
 
黄檗宗様式の仏殿には、江戸初期の貴重な仏像が祀られています。
 
 
御本堂です。
 
 
豪徳寺は招きね発祥の地なのだそうです。知らなかった!。
招猫殿の西側には、たくさんの招き猫が置かれていました。
 
 
これが彦根市のマスコットキャラクター「ひこにゃん」の大元になります。
ひこにゃん Wikipedia link      
 
 
招猫殿前の馬頭観音石仏
馬頭観音石仏でも座像は初めて見ました。
 
 
次に井伊家のお墓に向かいました。
 
 
 
 
 
 
井伊家の墓地は境内のかなりの広さを占めていました。
石畳の正面が、二代直孝のお墓です。
 
 
 
井伊直孝石塔  井伊直孝Wikipedia link
 
次に櫻田門外の変で殺害された井伊直弼の墓です。
井伊直弼(なおすけ)Wikipedia link   
 
 
ここにはボランティアのガイドさんか、郷土史家の方が説明をしていました。
私の知らないことが、次々と出てきます。
直弼の後を継いた直憲は後に官軍に付きました。官軍に従う藩が増え、一気に幕府崩壊となったようです
 
ガイドさんは、裏切ったと言う言葉を使っていました。
世田谷区民なのでしょう。幕府の恩恵を受けながら、父を暗殺されながら、なぜと思う気持ちが、あったのでしょう。
直憲の正室は有栖川宮幟仁親王の王女・宜子女王だったからとの意見でした。
藩内に有栖川宮家の影響が強く作用したのかもしれません。
有栖川宮幟仁親王Wikipedia link    
 
 
 
 
後を付いて行くことにしました。
櫻田殉難八士之碑です。
 
 
 
直憲の墓もあるのですが、素通りです。
直憲は伯爵となり、井伊家は明治以降も安泰でした。
豪徳寺の恩人でもあったようです。
井伊直憲 Wikipedia link    
 
ガイドさんは三重塔に向かいました。
ここには猫の彫刻が四カ所あるそうです。
 
 
 
 
 
彦根城博物館「井伊家伝来の名宝展」のポスターがありました。
来年の3月まで行っています。
 
豪徳寺駅に向かうと、行くときには気がつきませんでしたが、商店街にポスターが何枚か張っておりました。
 
 
 

梅の花 世田谷区成城学園前店

昨日は身内のお祝いのため、都内まで出かけました。
小田急線に乗るのは、数十年ぶりです。
 
 
 
「梅の花」は駅ビルのコルティ4階にあります。link
どうしても「成城」と聞くだけで気後れしてしまいます。
私の前に入店した女性陣は見ただけで、着ている物から香水まで、高級品ばかりのようです。
 
 
 
 
 
 
しかし親族だけの部屋では、気心の知れた人達ばかりで、ホッとしました。
 
 
 
 
飲み物以外は、すでに予約してあります。
今日はカメラマンが3人もいましたので、後で画像を送ったり、送られたりになると思います。
楽しみですね。
 
 
 
 
コース料理の「風待草~かぜまちぐさ~」 でした。
お豆腐、湯葉などが使われた料理です。
 
 
 
 
 
 
若い頃でしたら物足りなかったでしょう。
 
 
 
 
 
 
牛すき煮です。
以前でしたら、待ってましたとなるのですが、それまでに出された料理が、私の年齢に合っていたのか、ほんのわずかいただいただけでした。
 
 
 
 
 
 
 
牛すきは実際に食べたのは、もっと少ない量です。
写すために沢山入れてあります。
 
 
 
 
最期のデザートも私好みで楽しめました。
 
 
 
 
十分以上に堪能した会食でした。
 
 
 

軽いカメラは楽です

近年とみに体力が衰え、重いカメラを持つのがいやになりました。
かといって軽いだけが取り柄のデジカメでは、今やスマホの方が画質が良いこともあります。
 
 
 
とにかく軽くても同じ大きさのセンサーを持つ、画質が良いミラーレスカメラを探しました。
他社のミラーレスも持っているのですが、画質が好みでありません。
レンズも高価な物を使わなくては、本領発揮が出来ませんでした。
 
今まで使っていた一眼と比べると半分以下の軽さです。
但し、新しい機種だと高過ぎですので、少し前の機種にせざるを得ませんでした。
 
画質も一眼に決して劣りません。逆に発色がきれいでした。
女性には、このカメラで写した方が好評でした。
 
風景は一眼の方が良いようです。
 
それでも出かけるときは、コンデジで済ませることも多くなりました。
 

関東三大師 西新井大師總持寺 東京都足立区

 
 
この日はAさんがお参りしたことが無いとの事でしたので、少し回り道をしてきました。
西新井大師は真言宗豊山派に属し、ご本尊は弘法大師様です。
 
山門からお参りしようとしたら工事中でした。
 
 
 
 
 
 
門前町は平日のためか、お休みの所が多いです。
工事中のため、こちらに回る参拝者が少ないのかもしれません。
 
塩地蔵さんは塩まみれです。
参拝者は多いのでしょうが、お参りしている人は見ませんでした。手を洗う場所があるのかな~と見ると、お水屋がありました。
参拝受付近くの水洗い地蔵は数人が並んでしました。
 
 
 
 
藤棚の下は暑い日差しを遮ってくれます。池も風情があります。
 
 
 
 
 
御本堂はお護摩が始まるところでした。
Aさんは「坊さんが7人もいますよ」と驚いていました。
さすが関東三大師と言われるだけあります。
 
 
 
本堂西側には弁財天様が祀られています。橋の上から池を見ると、大きな錦鯉が群れていました。
 
 
 
 
 
 
さらに裏手に回ると、権現堂がありました。
何権現様か書いてありません。
 
 
 
 
如意輪堂(女人堂)は女性の願いを聞いていただけるのだそうです。
安産・福徳・縁結びなどの御祈願が、ふさわしいかもしれません。ここは石仏ですが、如意輪様は一般的には女性的な観音様です。
ここまで来ると誰もいませんでした。知られずにコッソリお願いするには、ピッタリな場所です。
 
賽銭が無駄になったかな!。
 
 
 
 
奥の院は、高野山の奥の院を当地に迎えた所です。
 
 
 
奥の院の南側のお堂は何堂とも書かれていません。
 
 
 
出世稲荷は一目でお稲荷さんと分かるたたずまいです。
 
 
 
また本堂前にいたり、ふと見るとお地蔵様の前で、御供養をしています。
水子供養も行っているのですね。
 
 
 
 
三匝堂はWikipediaに栄螺堂として書かれていましたが、他の栄螺堂とは異なり、内部に階段はありません。
 
 
 
山門を出て、牡丹園に向かいました。
たくさんの牡丹が植えてありましたが、今の見所はアジサイと菖蒲です。
スマホに花の写真を撮るおばさま方がいました。私より若いかもしれませんが。
 
 
 
以前、池袋駅東口のカメラ屋で買い物をしようとしていると、バス停に「西新井駅前」とありました。
すると西新井駅行バスが到着です。
買い物はやめて行き先変更、バスに乗り込みました。
 
都内はいつも電車か地下鉄しか頭にありませんでした。
何度も電車を乗り換えるなら、都内でバスで一本は便利でした。
時間も1時間ほどです。
 
今はスマホがあれば、簡単に目的地に行く一番の方法が調べられます。
 
都営バス 池袋車庫→西新井大師車庫 link  

浄土宗 円泉寺 東京都足立区

環七を走行中、カーナビに円泉寺の表示がありました。

当寺と同じ寺院名の円泉寺ですので、急遽寄ることに致しました。

 

こちらは浄土宗の寺院です。正保3(1646)年の開山です。

 

 

御本尊は阿弥陀如来です。浄土宗では殆どが阿弥陀さまが御本尊です。

 

 

境内には浄土宗祖・法然上人の銅像があります。

 

 

宝篋印塔の隣には、庚申塔が祀られています。

ここでも江戸時代は庚申信仰が盛んだったことが分かります。

 

宝篋印塔

 

この後に西新井大師に向かいました。西新井大師ブログlink

 

円泉寺 東京都足立区加平2丁目6−16 地図

 

羽黒山橋本坊(八坂神社)の牛頭天王 山形県鶴岡市

以前求めた橋本坊の牛頭天王お姿です。
 
牛頭天王は天照大神と素戔嗚尊の誓約時に出現した五男三女神の一神です。
 
以前にもYahoo!ブログ(内容は異なります)に書いたのですが、牛頭天王を寺のブログにも掲載するに当たり、「羽黒山 橋本坊」で検索すると記憶にある建物が出てきました。
 
 
羽黒山橋本坊で江戸期に発行されていたものです。
宿坊・神林勝金だと思います。
羽黒山石段登り口に一番近い茅葺きの宿坊です。
現在の八坂神社のようです。
廃仏毀釈の折り、各地の牛頭天王は天王社、祇園社として祀られていましたが、多くが八坂神社となりました。
須賀神社となったところもあります。
ここも橋本坊が八坂神社となったようです。
 
かつて羽黒神社をお参りした折おの八坂神社橋本坊写真です。
 

 

イメージ 7
宿坊・神林勝金  山形県鶴岡市羽黒町手向3 リンク地図
 
 

宿坊・神林勝金と八坂神社

 
廃仏毀釈の折り、各地の牛頭天王は天王社、祇園社として祀られていましたが、八坂神社として知られています。
ここも橋本坊が八坂神社となったようです。
 
 

牛頭天王
 
各地に牛頭天王の蘇民将来説話に由来する茅の輪くぐりが残っています。
 
鹿島神宮
 
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