2011年10月

東大寺

東大寺は修学旅行、ご本山当時、奈良国立博物館の正倉院展など、何度も訪れています。

奈良では一番多いと思います。

東大寺    奈良市雑司町406−1

こうしている姿はおとなしいのですが、手に持っている紙を食べられている人もいました。

 

南大門の仁王様

阿形の金剛力士

吽形の金剛力士

 

大仏様は、何度来ても大きいと思います。

大仏様より大きな仏像も建立されていますが、貫禄が違います。

 

多聞天(毘沙門天)

 

如意輪観音

 

大きな増長天頭部と持国天頭部です。

 

弥次さん喜多さん。

 

大仏殿を出ると、先ほどと違って誰もいませんでした。お賽銭を入れ足下をさすります。

 

和歌山、奈良の旅は、ここで終わりです。

春日大社

正倉院展の後に春日大社に向かいました。

あまり歩きたがらいメンバーが一人いましたが、私も他も春日大社に行きたがり、結局全員で向かいました。

確かに長い参道で、行きたがらなかった一人は休み休みでした。

興福寺にはいなかった鹿が、ここにはたくさんいます。

春日大社の神の使いですから、昔から大事にされていることが分かります。

 

長い参道を通り、中門・御廊に到着です。

春日大社 

春日大社は藤原氏の氏神を祀る神社です。全国の春日神社の総本社です。

 

この位置で写真を撮影していた人がいましたので、まねて何枚か撮りました。

灯籠の位置、大きさが分かるよう、あえて人を入れました。

この後、国宝殿にも行きたかったのですが、時間の都合で東大寺に向かいました。

興福寺

興福寺はたぶん四度目の参拝だと思います。

二十代の頃、西国札所巡りに訪れて以来です。

興福寺  奈良市登大路町48 

中金堂の再建をしており、仲間と共に屋根瓦を奉納致しました。

 

三重塔と北円堂が特別開帳でしたので、参拝させていただきました。

 

この後、国宝館に向かい、阿修羅像を拝ませていただきました。

この像がやはり一番人気でした。

 

この後、奈良国立博物館に向かい、正倉院展を見学致しました。

ここはブログは略します。

御霊神社 奈良市

先に鎮宅霊符神社をお参りしましたが、こちらの御霊神社が管理しているのでしょう、納経はこちらと書いてありましたので、参拝致しました。

現在の五条市から現地に移されました。

御霊神社  奈良市薬師堂町24 地図

井上内親王と他戸(おさべ)親王は藤原氏による謀略に急死したようです。他戸親王は天皇になっていたかもしれないのです。

その後、天地異変が相次いで起こり、怨霊として祀られたようです。

他戸親王Wikipediaリンク

元興寺

朝早すぎて拝観はできませんでした。石塔や石仏など、拝観できなかったことは残念です。

元興寺は飛鳥寺が平城遷都にともない新築されたことは知りませんでした。

元興寺  奈良市中院町11 地図

 

次に元興寺塔跡に向かいました。

 

塔の礎石が残されています。

見学に来るなら桜の頃が良さそうです。

 

萩はそろそろ終わりになります。

 

啼灯籠は正嘉元(1257)年の刻銘があるようです。

氏なしで年号が彫られているものでは、第二位の灯籠で、戦前は重要美術品に認定されていました。

 

 

十輪院 奈良市

朝早すぎて拝観前でした。

門は開いていましたので、庭先だけは見学することができました。

 

本尊地蔵菩薩、釈迦如来、弥勒菩薩のの石仏龕が拝観できれば良かったのですが、仕方ありません。

朝のお掃除中です。

 

春のツツジの頃が見頃なようです。

十輪院  奈良市十輪院町27  地図

中将姫の誕生の地 誕生寺 奈良市

市内を歩いていると中将姫の文字が目にとまりました。

中将姫とは当麻寺の「當麻曼荼羅」を織ったことで知られています。当麻寺のの當麻曼荼羅は、中将姫によって一夜で織られたと伝えられています。

 

当寺(円泉寺)の工芸品の當麻曼荼羅です。

當麻曼荼羅Wikipediaリンク

御本尊は中将姫法如尼の御尊像だそうです。運良く前を通ることができ、門前からですがお参り出来ました。

誕生寺 奈良市三棟町2 地図

 

北向庚申堂には、木像の荒神様が祀られていました。

 

石の像は各地にありますが、木像をお参りしたのは初めてです。

 

當麻曼荼羅ブログlink

 

鎮宅霊符神社 奈良市

私だけ朝早めに出て、お参りしたかったのが鎮宅霊符神社でした。

霊符とは妙見さまでもあるからです。妙見菩薩を調べていた私にとって、今回の目的はここでした。

鎮宅霊符神社  奈良県奈良市陰陽町(いんようちょう) 地図

平安時代の創建で陰陽師が住んでいました。江戸時代になっても陰陽師が奈良暦(南都暦)が作られていたそうです。

 

ここの狛犬は、他では見ることの出来ないユニークなお顔をしています。称して笑う狛犬と言うのだそうです。

この狛犬に会うのも楽しみでした。

 

町中にあり、うっかりすると見落としてしまいそうな神社です。

無事お参りができ、今回の目的がかないました。

 

率川神社 奈良市

他の仲間より早めに市内を散策に出かけました。

率川(いさがわ)神社は初めて知る神社です。仮名がふってなければ、とても読めないですね。

 

奈良市最古の神社なのだそうです。

 

蛙石はお金が返る、幸せがかえる、若がえる、無事帰る、貸した物が帰るなどの願いを込めて、石を撫でるのだそうです。

私も撫でてきましたが、何か功徳があったのかもしれません。

高野山参拝

根来寺の後に高野山を詣でました。

ここから奥の院に向かいます。

 

企業の墓から戦国武将・江戸時代の藩主の墓など、たくさんの墓が並びます。

 

浄土真宗親鸞聖人のお墓です。

 

豊臣家の墓

 

奥の院に向かいます。残念ながら奥の院の写真が写っていませんでした?

 

興教大師覚鑁上人の御堂もありました。

 

以前はここから奥の院にお参りした記憶があります。

 

多くの寺院がありますが、金剛峯寺は全山を言っていました。

明治の役人が高野山金剛峯寺は全体なのに、ないのがおかしいと明治の役人が言ったために、青厳寺・興山寺を金剛峯寺にしたと聞いています。

明治初期には弘法大師以上に偉い、無知な役人がいたようです。

 

金堂と多宝塔

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