椙森稲荷からお玉ヶ池跡
反将門公関連の寺社などを調べるために来ました。
今の時代には将門公側、反将門公側など気にすることはないのですが、友人の中には気にする人が大勢います。
江戸時代は富くじ発行が行われていました。
しばらく歩くと宝くじ売り場の看板が見えました。
ここで買う人が多いようです。高額当選者も出ているようです。
お玉が池のほとりだったそうですが、池があった場所は埋め立てられて面影はありません。
近くに千葉周作の玄武館がありました。お玉ヶ池近辺地図
反将門公関連の寺社などを調べるために来ました。
今の時代には将門公側、反将門公側など気にすることはないのですが、友人の中には気にする人が大勢います。
江戸時代は富くじ発行が行われていました。
しばらく歩くと宝くじ売り場の看板が見えました。
ここで買う人が多いようです。高額当選者も出ているようです。
お玉が池のほとりだったそうですが、池があった場所は埋め立てられて面影はありません。
近くに千葉周作の玄武館がありました。お玉ヶ池近辺地図
以前、長命寺の斎場において、当寺檀家さんの葬儀がありました。遅れないよう、かなり早い時間に到着しましたので、境内を散策しました。
その折、カメラを用意しませんでしたので、改めて参拝を致しました。
東高野山長命寺リンク 東京都練馬区高野台3丁目10−3 場所
東高野山と言われ、江戸時代から広く参拝者が訪れました。
小遣地蔵堂は六角堂となっており、明治32年の建立です。
高野山と同じく奥の院がありました。
周りにはたくさんの石仏が祀ってあり、練馬区では一番多くあるそうです。
奥には十王様が祀られていました。
閻魔様の奥には、徳川家光一周忌に建立された供養塔がありました。
勝手に将軍の供養塔を建立できるわけがなく、当時の長命寺とご住職が幕府に信頼されていたかが分かります。
長命寺 東京都練馬区高野台3丁目10−3 地図リンク
以前、西新井大師をお参りしたおり寄るつもりでしたが、時間の都合で帰りました。
今回は他も廻る予定で、国土安穏寺に参詣することに致しました。
応永17年の創建です。
徳川家祈願所位牌安置所となり、葵紋の使用を許されました。
山門
仁王門
御本堂には国土安穏寺と大きな額が掲げられています。
御本堂前の松が、徳川家光公お手植えの松です。
私は真言宗寺院の住職なのですが、このところ日蓮宗寺院ばかり廻っています。
国土安穏寺 地図
寺伝では行基菩薩により創建されたと伝えられています。田原藤太秀郷が参籠して平将門公追討の祈籠したとも伝えられています。
上野の寛永寺の位置にありましたが、寛永寺を建てるために下谷に移転させられました。
下谷の下谷神社は正法院の持ち物でした。下谷神社ブログ
我が母校・大正大学には平将門公関連寺院の師弟、反将門公側の成田山の弟子など、両陣営の師弟が混在していました。
当円泉寺では反将門公側である成田山のお弟子さんだった後輩に、時折お手伝いしてもらっています。将門公側寺院の仲間から怒られそうな話しです。
将門公子孫の同窓生には、間違いなく嫌われるでしょう。薬王寺 ブログlink
どうしても善光寺と言えば、長野の善光寺を思い浮かべます。
由来にあるように善光寺の伽藍が、兵火にかからないように甲斐に諸仏、寺宝を移したのが、甲斐善光寺の始まりです。
当日の参拝者は、我々以外に1組だけでした。
おそらく地蔵堂と思います。左右にも大きなお地蔵様が、
阿弥陀如来の大仏様も祀られていましたが、ここの石仏の方が私は好きです。
食事は門前の「手打ちうどん とだ」にしました。
評判の良いお店でしたので、昼はここと決めていました。
※追記 よっぽど気に入ったのでしょう、友人は後日も山梨に出かけた折り、わざわざ寄ったそうです。
日蓮聖人が龍ノ口法難のため、岩屋に閉じ込められた場所が現在の龍口寺です。
先ずは御本堂にお参りします。
大書院です。松代から移築されました。
日蓮聖人が閉じ込められた岩屋には、現在銅像が祀られています。
私の目的の妙見堂です。
龍口寺 神奈川県藤沢市片瀬3丁目13−37 地図
伊豆に流罪となった日蓮聖人が、伊東沖の小岩に降ろされてしまったのを助けたのが、舟守弥三郎という漁師だったそうです。
その子が開山したのが妙長寺です。
御本堂も撮影したつもりなのですが、?。
泉鏡花が二ヶ月間滞在し、後にここの経験を元に「みだれ橋」「星あかり」を発表しまた。
鏡花の作品は、十代の頃読んだと思うのですが、思い出せません。
浄行菩薩
妙長寺 神奈川県鎌倉市材木座2丁目7−41 地図
日蓮宗の霊跡本山・妙本寺をお参りしました。
頼朝の乳母・比企の局(つぼね)の一族墓があります。比企氏は現在の埼玉県東松山市や比企郡を基盤としていました。
鎌倉における比企氏館跡です。
御本堂
妙本寺 神奈川県鎌倉市大町1-15-1 地図
祖師堂
祖師堂の前には、大きな日蓮聖人の銅像がありました。
比企一族の墓です。
比企氏は政子の実家である北条氏と対立して滅びました。そのため比企氏の詳しい歴史は不明なことが多いようです。
大きな五輪塔は前田利家の側室、千代保の方の供養塔です。
知らずにお参りしましたが、当寺のある埼玉県ゆかりの一族のお墓に詣でることができました。
曹洞宗 宗吾寺 若狭局 比企一族由来の地 館跡 埼玉県東松山市ブログlink