2018年05月

五大尊と摩利支天社 埼玉県越生町

 

越生町の五大尊と摩利支天社に、お参りに行きました。

以前、ツツジの季節に来たことがありますが、ここの駐車場に向かう車でいっぱいでした。諦めて帰った記憶があります。

今の時期は、サツキが咲いていますが、種類は赤のみで数も少なく寂しいです。

ツツジ以外の時期は、いつも空いています。

 

五大尊  埼玉県入間郡越生町黒岩303 地図

五大尊に登るところは、四国八十八カ所の石碑があります。

 

五大尊

 

 

摩利支天社は、五大尊の下を南に行けば、間違えずにいけます。五大尊つつじ山から大高取山への登山道にあります。

新編武蔵野風土記にある今市村(現越生町)摩利支天社(個人持ち)が、たぶん今の摩利支天社と思われます。

西国札所の法華山一乗院の碑の脇を登ると、摩利支天社はすぐです。

 

 

滑りながら着くことが出来ました。

摩利支天社に到着しました。つつじ園の南端からは、すぐの場所にあります。

前日の雨のため、かなり滑りました。下るときは、木の枝をつかみながらの下山です。

靴は滑らない種類でしたが、ハイキング用が必要です。

 

越生町には、あじさいやま公園にも摩利支天が祀られています。ブログ

 

移植した寒椿に芽が出てきました

新大型墓誌の建設のため、先月植え替えた寒椿に、新しい芽が出てきました。昨日はなかった芽です。幹から出た赤い部分が新芽です。

葉がついていた部分は、新葉となっています。

 

 

かなり枝を伐採したため、暑さに負けて芽が開かなかったり、木全体が弱り枯れ枝になる可能性が残っています。

週二回の水やりは、必ず行うようにしていますが、あと数年は気が抜けないと思います。

 

 

このまま新芽が大きく育ちますように!

 

多和目天神社のカゴノキ 坂戸市

田波目、多和目の神社をネットで調べていると、弁天さまが祀られている神社がありました。
 
 
近在では珍しい両部鳥居でした。
東松山の箭弓稲荷神社しか記憶にありません。
 
 
弁財天社
弁天さま、毘沙門さま、大黒さまが祀られていました。
 
他にも数社祀られています。
 
 
 
 
稲荷社の後ろには、大きな木があります。
 
 
 
カゴノキだそうですが、はじめて知った木でした。
 
 
離れてみるより近くで見ると、幹の造形の見事さに、見とれてしまいました。
カゴノキとしては、最北の巨木だそうです。
 
 
多和目天神社 埼玉県坂戸市多和目383-1   地図
 
 

万葉集「大家が原歌碑 」 坂戸市 日高市

入間道の大家が原のいはゐづら ひかばぬるぬる吾にな絶えそね」

入間道の大家が原
  伊利麻治能 於保屋我波良能   伊波為都良 比可婆奴流奴流  和尓奈多要曽祢
      万葉集巻十四 3378

この碑は、坂戸市、日高市、狭山市にあります。
坂戸と日高のみを取り上げます。
 
大家の地名は、坂戸市に大家村がありました。現在も大家小学校があります。
日高市は大谷沢があります。
どちらにも場所に関する確実な文献があるわけではありません。

坂戸市四日市場の歌碑

坂戸市四日市場325-3  東京国際大学グラウンドの入口  地図
 
 
坂戸市四日市場325-3

 
 
坂戸市の土屋公園にも、万葉集第11巻「くれなゐの浅葉の野らに刈る草の束の間も吾を忘らすな」があります。
土屋公園  埼玉県坂戸市浅羽野2-2-1  地図    
 
 
 
 
「くれなゐの浅葉の野らに刈る草の束の間も吾を忘らすな」万葉集第11巻 2763
 
他にも坂戸市浅羽の学校内にもあるようです。
 
「紅の 浅葉の野らに 刈る草の 束の間も 吾を忘らすな」  第11巻2763
 
ここは周囲を回るだけにしました。
 
 
日高市大谷沢の碑 
 
JAいるま野高萩南農産物直売所  日高市大谷沢189   地図
向こうは県道407
 
 
 
JAいるま野高萩南農産物直売所

ここには家内が買い物に時々行っています。
檀家さんも、お墓参り用の花は、ここで買う人が多いようです。

ここの駐車場、北東角にあります。



日高市の巾着田にも万葉歌碑があります。

高麗錦 紐解き放けて 寝るが上に 何ど為ろとかも あやに愛しき」

巾着田には、何度か行っていますので、写真があるはずですが、見つかりませんでした。
後日行ってこようと思います。


※追記 
   越生町にも大谷ヶ原歌碑が越生町立図書館前にありました。リンク
 

国渭地祇神社 坂戸市森戸

坂戸に用があり、帰りに国渭地祇神社にお参りに行きました。
国渭地祇神社   埼玉県坂戸市森戸616   地図        
 
 
以前、国渭地祇(くにいちぎ)神社お参りしたのは、15年ほど前だったと思います。
上田村麻呂の創建、藤原秀衡の創建、あるいは延喜式内社にある国渭地祇神社であるとの説もあるようですが、明らかに明治以降の神社のようです。
関連はありません。
 
明治初年まで、山本坊配下の修験・大徳院が別当を務めていました。
山本坊と言えば、平将門公の子孫と称していました。
 
 
 
ここには獅子舞が受け継がれています。
 
場所は西大家駅のすぐ側で、坂戸西高校の生徒が駅まで、歩いていました。
 
 
 
 
それほど大きくないお社ですが、境内はきれいに管理されています。
 
 
 
ご神木の「椎木」は、まだまだ勢いがありますね。
 
 
神社のお隣さんには、大きなキリーク(阿弥陀如来)が彫られた青石塔婆ありました。
鎌倉時代には、さぞかし有力な武将がいたのでしょう。
この神社の周りには、土塁らしき跡が残されているようです。
 
 
秋葉神社
他の所にありましたが、こちらに遷座されたと書かれていました。
 
 
 
八幡神社
 
 
 
この日の目的は、北辰尊星王碑です。
私は、妙見菩薩を当時調べていました。
北辰尊星王も北辰妙見菩薩です。
 
 
山本坊配下の大徳院は、天台系の修験です。
本山は聖護院でした。
かつて、聖護院は三井寺が本山でしたが、尊星王の信仰があります。
その関連の石碑なのかもしれません。三井曼荼羅図(尊星王を中心とした曼荼羅)
 
 

さつき

境内のサツキが咲いています。

毎年、この花を楽しみにしている方も多いようです。

 

 

 

紫陽花は、まだまだ先です。

 

営業さんが仏像見学

先日来られた寺院関連の営業さんが、営業そっちのけで、仏像見学となりました。

 

実家の菩提寺が浄土宗で、阿弥陀様に興味があったそうです。

 

 

話を聞いてみると、最近この会社に入ったばかりでした。

前の会社は、誰でも知っている大企業です。ただし、その方の部署は「へえー !」と思うような仕事をしていました。確かに、内部でも知らないような仕事も、大事なことなのでしょう。

なぜ会社を辞めたのか聞くと、前の上司は良かったのですが、新たに来た上司は何も知らないのに、あれこれ新たな提案をしたそうです。

間にいたその方は、無理は無理と話しても聞き入れてもらえず、やむを得ず退社となったと話していました。

 

今の会社は、全く関連がないのですが、仕事が映像関連でしたので、入社できたそうです。

そこでは、さらに通販に力を入れるために、経験者を募集していました。私もその会社では、ネットで注文しています。聞くと寺院関連だけでなく、他の事業関連の通販にも力を入れる予定なのだそうです。ただし、ネットでの注文より、営業からの率が遙か高いようです。

そのため、ネットで注文があったお寺中心に、ネットへの意見を聞くこともかねて挨拶に来られたようです。私のところは、パンフレットは送ってきますが、その会社の営業が来られたのは、初めてでした。何処の会社も生き残り対策で大変ですね。

それ以上に営業さんは大変かと思いましたが、家のローンも終わり、子供も就職したので、可能だったようです。

 

前にいた会社のその後を聞くと、「元部下から、時々電話が来ます」とのことでした。上司の蒔いた種で一人がいなくなり、新たな補充もなく、お客さまに迷惑を掛けないようするのに手一杯だそうです。

 

青面金剛の掛軸

 

青面金剛の石仏は、各地で見ることが出来ます。

結構な割合で、現在に伝わっていますが、名前を知らない人が多いのではないでしょうか。

昔は、三尸蟲から身を守るため、庚申様の前で一晩寝ずに行事を行っていたそうです。

 

その時に使用されていた江戸時代の掛軸なのでしょう。

三面大黒天の記事を読んでいたとき、青面金剛の像を見たチベットの僧侶が、「マハーカーラだ」と言っていたと書いてありました。

そもそも仏教でなく、道教から来た考えです。密教の仏様を庚申に取り入れた像ですから、似たような仏さまもあるでしょう。

 

 

三面大黒天

 

確かに三面大黒天に似ていますね。

昭和22年 八高線事故 死者184人の慰霊碑 最大規模の鉄道事故



日高市に用があり、手前の道を右に回るつもりが、行き過ぎて次の道で行かざるを得なくなりました。
八高線に沿って右に折れると、「八高線事故慰霊碑」があります。

日本において鉄道史上、最大の事故でした。八高線事故の検索
東飯能駅から高麗川に向かう列車です。定員の三倍の乗客で、すし詰め状態だったようです。



この高さですから、脱線したら大変なことになったことは、誰でも分かるでしょう。
死者184人、重軽傷者459人でした。

いつもここを通るときには、降りて手を合わせてから行くようにしています。
通る時、けっこうお花が上がっています。


昭和54年の三十三回忌に建立されたことが分かります。
この時の法要のニュースや記事で、事故のことを初めて知った方も多かったと思います。
日本一死者の出た事故でした。文化新聞記事


私は子供の頃、両親や学校の先生から何度か話を聞いていました。

戦中から食料が配給の時代でした。米の配給検索
闇米は高すぎて十分に食事の出来ない方々が、リュックに衣類などを詰めて、農家にお米などと交換して頂くために、すし詰めの車両に乗り出かけました。
闇で儲けていた人もいた人もいたようです。
皆さん生きていくために必死でした。

地元ではありませんが、ある農家のお婆ちゃんは、衣類など交換していっぱいになったと話していました。
現金を持って買いに来る人もいたそうですが、十分に儲けるほど米を備蓄していたわけでは無かったと言います。
もう要らないからと、お米を分けてあげたこともあると話していました。
泣きながら感謝されたそうです。

しかし検閲があり、大事な食料を没収されたこともあるそうです。
分かっていて取り上げる人も辛かったでしょう。

ある先生は、「塩か?」と言われ、「塩化ナトリュウムと言う科学薬品だ」と答えて、難を逃れたと話していました。

この電車にも、そのような人が大勢いたのかもしれません。


場所は圏央道「狭山・日高インターチェンジ」から高麗川駅方面に向かい、八高線高架下をくぐらず、右折するとスグです。

道が狭いですので、ユックリ駐車できません。


事故現場  埼玉県日高市上鹿山   地図

永代供養塔 二基めの大型墓誌完成

 

永代合同法要に間に合うように、二基めの大型墓誌が完成致しました。

結構経費は掛かりましたが、年々石が値上がりし、先延ばしにすると大変な金額になりかねません。

納骨の方々に負担のならないようにしていますので、墓誌彫刻は、赤字すれすれです。

私が生きている間は、作らなくとも良いように、さらに大きくなりました。

大きな石は、これ以上の大きさでは、輸入するにも大変なことになるようです。

 

こんなに厚く生コンを入れるのかと思いました。かなりの量です。

1トン以上あるそうです。

 

 

合同法要前日に完成致しました。

 

5月13日の合同法要

 

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