2021年03月

真宗高田派 本寺 高田山専修寺 栃木県真岡市

真宗高田派本寺専修寺に参拝したのは、一度お参りしたかったことはもちろん、この宗派には釋○○□□信士の戒名があることでした。

浄土真宗では釋○○だったはずです。

当寺檀家となった方が葬儀の折に真宗高田派末寺より、この信士の戒名を葬儀で付けていただいています。

後に当寺の墓地を求め真言宗になりました。戒名は○○□□信士とし、釋を外しています。

 

ならば直接専修寺に詣でて、聞くのが一番と思い出かけました。

 

御影堂

 

親鸞聖人が初期真宗教団の寺院をここに建立されています。

 

 

浄土真宗では釋○○のはずと思っていました。

ネットで調べると、確かに信士号があるのです。

 

事務所受付で係の方に、お話を聞くことが出来ました。

答えは簡単です。

東日本などでは信士信女、居士大姉が当たり前の地域です。

本来は釋○○では納得していただけないために、釋○○□□信士としているのだそうです。

全ての地区ではないようです。

 

 

東西の浄土真宗のように関連寺院の多い地域に置いては釋○○だけで良いのですが、檀家さんの要望に応えたためのようでした。

 

如来堂

 

墓地に行くと墓誌に釋○○□□信士や△△院○○□□信士などの戒名が彫ってありました。

釋○○はありません。

 

 

また素晴らしい話も聞くことが出来ました。

この担当の方は、元々は真言宗の僧侶でした。

どのようなわけで真宗高田派の僧侶になったかは聞いていません。

 

浄土宗・浄土真宗の説く阿弥陀さまの世界は、曼荼羅の阿弥陀如来の世界だけをわかりやすく説いた世界だと話されました。

 

涅槃堂の釈迦涅槃像

 

阿弥陀さまは光り輝く仏さまで、その世界も光り輝いているのです。

確かに阿弥陀如来の梵名のアミターバは「量(はかり)しれない光を持つ者」であり、曼荼羅の世界も中心となる大日如来を中心に、光り輝く仏さまの世界をあらわしていると話されました。

まさに私の考える世界と同じなのです。

 

また真言宗で唱える理趣経も、光り輝く仏さまの世界を説いているのですと話していました。

まさにその通りです。

 

太子堂

 

私は常々、亡くなると必ず光り輝く仏さまの世界に行き、光り輝く仏さまになると話しています。

宗教・ 宗旨宗派にかかわらず、同じ世界に行くと思っています。

お釈迦様が後世に色々な世界を作るはずがありません。

 

高田山専修寺 栃木県真岡市高田1482 地図link

 

二宮尊徳資料館 桜町二宮神社 栃木県真岡市

二宮尊徳記念館

目的の場所に向かう途中、二宮尊徳資料館がありましたので寄ることに致しました。

旧二宮町は二宮尊徳を敬慕する地域の方々によりつけられています。

 

 

表に二宮尊徳(二宮金次郎)の銅像が迎えてくれます。

中には等身大の像もありました。背の高い力強い姿だったようです。

 

二宮金次郎は小田原藩主大久保忠真公の命により、復興のために、文政6年(1823)に一家で移り住みました。

この地(桜町)で 荒れ地を田畑に開墾しただけでなく、道路の整備、家屋の修復、凶作対策として作物の作付けをすることにより、天保の飢饉を乗り越えることが出来ました。

 

詳しくはユーチューブを見て下さい。二宮尊徳の桜町仕法link

二宮尊徳記念館 栃木県真岡市物井2013−2 地図link

 

桜町陣屋跡

 記念館の西脇を行くと桜町陣屋跡があります。

小田原城主・大久保加賀守忠朝の3男宇津教信が、元六12年(1699)に桜町4000石の分家して陣屋を置きました。

ここで金次郎は26年間住み、復興につくしています。

 

 

桜町二宮神社

記念館の東には参道があり、桜町陣屋の東にあたる場所に桜町二宮神社があります。

二宮尊徳没後50年の明治38年、桜町陣屋隣に創建されています。

 

 

二宮尊徳没後50年の明治38年、桜町陣屋隣に創建されています。 

 

蓮城院の二宮尊徳娘・文子墓

記念館の南側に蓮城院があります。

 

 

領主・宇津汎之輔夫妻の左り脇に、尊徳娘・二宮文子の墓石があります。

 

 

 

尊徳終焉の地である日光市今市の報徳二宮神社の裏に二宮尊徳の墓があります。

 

真言宗豊山派 西勝院 埼玉県入間市

矢寺の最勝王院が慶長10(1605)年に、宮寺氏館跡移りました。

 

 

御本尊は阿弥陀如来です。

 

不動堂

 

三面に二体づつ彫られた地蔵菩薩石幢

 

六十六部供養塔

諸国を巡る六十六部行者により結縁した記念に建立されたました。

 

境内は宮寺氏館跡でした。市の指定史跡となっています。

入間市を中心として、現在も宮寺姓の方が大勢います。

 

宮沢氏館跡土塁の上には閻魔堂があります。

 

閻魔大王

 

 

西勝院(せいしょういん)  埼玉県入間市宮寺489  地図link

 

臨済宗建長寺派 寿昌寺 埼玉県入間市

現在の立川市にある普済寺三世・蔵海性珍禅師(応永16(1409)年寂)によって高根に創建されました。

後に現在地に移ったと伝えられています。

 

御本尊は釈迦如来です。

 

観音堂の御本尊は市指定有形文化財に指定されています。

南北朝時代の作と言われています。

 

鐘楼堂

 

地蔵菩薩

 

境内の閻魔堂には石像の閻魔様が祀られていました。

 

寿昌寺  埼玉県入間市二本木1255-1 地図link

 

真言宗智山派 光明寺 埼玉県ときがわ町

光明寺は当寺と同じ真言宗智山派に属しています。

光明寺のfacebookを見て、参拝することに致しました。  光明寺facebook link

 

 

御住職が庭で伐採した樹木を片付けていました。お顔を見ると数十年前に何度かお見かけしています。

私のことは知らないと思いましたが、お声を掛けさせていただきました。

 

 

すると手を休めて庫裏の縁側で、お茶とお菓子を出していただき、お話をさせていただきました。

越生の法恩寺御住職が務めた埼玉十一教区長を引き継ぎ、四期も務めていたそうです。信頼されていたことが分かります。

お話をすると私の知っている御住職の話が次々と出てきます。

 

境内も高齢でありながら、副住職山と二人で整備しているようです。私にはもとてもできません。

先日の大風で落ち葉が大変だったようです。毎日木の伐採や落ち葉は木など、忙しそうでした。

 

天正18年に出された前田利家の貴重な文献も残されています。

 

 

 

お墓の入口には地蔵菩薩や如意輪観音の石仏が祀られていました。

 

 

六地蔵石幢

 

如意輪観音

 

お寺に猿田彦の石碑は初めて見たように思います。

どこからか移されてきたのかも知れません。

 

 

光明寺 埼玉県比企郡ときがわ町玉川3017 地図リンク

 

←ままごと屋で昼食              境内の梅花→

 

日蓮宗 東光寺 埼玉県ときがわ町

永禄9年(1566)に松山城主(埼玉県吉見町)であった上田朝直の開基です。

朝直の菩提寺は東秩父村の浄蓮寺にあります。

 

御本尊はお釈迦様のようです。

境内はよく整備されていることが分かります。

 

日蓮上人像隣の御堂は妙見堂です。

丁度梅の季節でした。

 

東側の階段を登ると墓地があり、ここにも立派な御堂がありました。

 

 

坂の途中から見た景色です。

桜の頃に参拝するのも良さそうでした。

 

東光寺  埼玉県比企郡ときがわ町日影821 地図link

曹洞宗 遠山寺 埼玉県嵐山町

新編武蔵野風土記によれば、「開山は漱怒全芳永正十五年(1518年)十二月十五日示寂、開基は遠山右衛門大夫光景」と伝えられています。

開山されたのは永正2年です。

遠山右衛門大夫光景は後北条氏の家臣で、遠山寺南側の槻川対岸にある小倉城主でした。

参道には地蔵菩薩などの石仏が祀られています。

 

庚申塔は寛政年間に建立されました。

 

 

如意輪観音の石仏は、二十三夜塔と思います。天明5年(1785年)に女人講により納められています。

 

山門

 

こちらの楼門は写真で見るより実際に見た方が遙かに大きく感じました。

 

格式のある立派な寺院だったことが偲ばれる立派な御本堂です。

御本尊はお釈迦様です。

 

階段を下り駐車場に向かいます。

 

 

 

おそらく小川町の西光寺御住職兼務寺と思います。

 

遠山寺 埼玉県比企郡嵐山町遠山211  地図link

曹洞宗 松月寺 埼玉県ときがわ町

新編武蔵野風土記によれば、元和8(1622)年に亡くなった洲珊嶺渚により開山されました。

 

 

里山の雰囲気がする禅寺です。

お地蔵様に手を合わせてから御本堂に向かいました。

 

 

丁度梅の花が最盛期でした。

 

観音堂

最近建立されたようです。再建かもしれません。

 

松月寺 埼玉県比企郡ときがわ町玉川4747 地図link

 

曹洞宗 東昌寺 埼玉県嵐山町

武蔵嵐山駅近くにある曹洞宗の寺院です。

道路に面した石仏にひかれて参拝することに致しました。

 

 

境内駐車場に入れると園児が遊んでいました。

邪魔になってはいけませんので、急いで撮影して退散です。

 

 

比較的新しそうな山門です。

中には石像の仁王様が祀られています。

 

 

なかなか迫力のある御尊像です。

四天王も祀られています。

 

 

全てが新しくなっている寺院ですが、こだわって整備されたことがうかがわれます。

 

東昌寺 埼玉県比企郡嵐山町菅谷11−3 地図link

 

 

曹洞宗 宝城寺 埼玉県嵐山町

宝城寺には摩利支天の石碑が祀られていますので、他の寺を参拝する途中に、急遽寄ることいたしました。

開山は臥雲寅龍禅師で、慶長3年(1598)に亡くなっています。

江戸に幕府がおかれたのはね慶長8年ですから、それ以前の開創です。

 

 

武蔵メモリアルパークを経営しているようです。

よく整備された寺院でした。

 

 

立派な閻魔大王が祀られていました。

 

一角に摩利支天の石碑が祀られています。

 

宝城寺  埼玉県比企郡嵐山町志賀1478  地図link

 

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