富士浅間神社 飯能市上直竹






歴史民俗資料館の次に出雲伊波比神社にお参りに行きました。
町の中心にあり、境内は独立した岡の上にあります。大変古くからある神社で、流鏑馬(やぶさめ)で有名です。
本殿は埼玉県で一番古い神社建築で重要文化財
今年11月3日に行われた流鏑馬の蹄鉄の跡が残っていました。毎年多くの人が見学に訪れます。
猫に餌をやらないで下さいの張り紙がありました。 境内の鳥居の前には、たくさんの猫がたむろしています。
餌をあげている人がいました。
出雲伊波比神社 入間郡毛呂山町岩井西5丁目17-1
埼玉県毛呂山町歴史民俗資料館に桂木寺の伝釈迦如来像(埼玉県指定文化財)が11月30日(日)まで展示されています。平安期初期10世紀後半の御尊像で、関東でも屈指の古い仏像のようです。また、薬師如来の可能性があり、伝釈迦如来像と言われています。
写真が撮れませんでしたので、資料館のホームページをご覧下さい。
滝之入の桂木寺にも寄ってきました。
うっかり緑の矢印の滝之入の桂木観音に行っただけでした。滝之入の最も西側です。
桂木観音
ここからはかなり遠くが見渡せます。
桜やアジサイとつつじの頃が見頃のようです。ハイキングコースゆずの散歩道(アジサイ)の最終地点になっています。
このあたりの畑には猪が掘り返した跡があちこちにありました。畑はだんだん放置されるようになるのでしょうね。
資料館では、11月15日(日)~1月25日(日)まで、特別展・毛呂季光(すえみつ)の活躍と末裔たちが開催されます。季光は源頼朝が挙兵直後から仕え、鎌倉幕府で重く用いられました。
石材店の店員さんが、「虹が出てますよ」の声。確かに虹です。店員さんやお墓参りの方々も皆さんスマホで虹を撮っています。台風の影響で、雨が降ったりやんだりの好条件だったのでしょう。
急いでカメラを持ち出し、本堂前で撮り出しました。次にお墓に向かいうと、虹全体を見ることが出来ました。久しぶりに見る虹に子供の頃を思い出しました。
良く霧吹きで霧を作り、小さな虹を見て喜んでいました。近頃はやたらと昔のことを思い出します。歳のせいですかねー。
飛行機の音が聞こえ振り向くと、横田基地に戻る輸送機が見えます。今日は何機も飛んでいるようです。
「住職、虹ですよ!」の声でカメラを急いで取り出し、本堂前で撮影開始です。
飯能市には二社の星宮神社があります。共に妙見菩薩関連です。栃木県は日光修験の関係で、虚空蔵菩薩でした。妙見菩薩、虚空蔵菩薩を祀る多くのお堂、お社は明治以降に社名を変更され、土地の名前、星宮神社などなっています。ご本尊も多くが天御中主神になっています。
まずは名栗の星宮神社 埼玉県飯能市上名栗小字宮
秩父七妙見の一社 名栗の村社で神明・諏訪を合祀
元暦年間八百年前に降った星を祀ったと伝えられている。
星宮神社(旧妙見社) 飯能市赤沢299-1
旧妙見寺(聖護院末)持 廃仏毀釈の折に星宮神社となった。
今でも地元の人は妙見様と言っています。
康永二年(1343)の創建と伝えられる。
赤沢近くの赤工(あかだくみ)には小さな社に妙見菩薩の石仏が祀られています。ちなみに赤工は製鉄に関連しています。妙見菩薩は、山師などにも信仰されたようです。この御尊像も製鉄に関連あるのかもしれません。
埼玉県飯能市上赤工久根
お不動様と言われています。見れば違うことが分かります。
妙見菩薩の亀踏像。剣を持ち、玄武(亀)に載っています。
他にも妙見様関連の寺社があります。まとめた資料は、PDF リンクをご覧下さい。
妙見菩薩 リンク
先日市内の観音寺ホームページを見てみると秩父御嶽神社での催し(平成26年11月22日(土)16時から)出演が載っていました。通り道でしたので、ちょっと寄り道の予定でした。
気軽にお参りしたのが間違いです。ご本社まで数百段の階段でした。
山上より長野の御岳山を遙拝するように建つご本社
長野の御岳山噴火のことが心配ですね。なくられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
長い階段が数百段あります。登りはどうにか階段で行きましたが、下りは女坂から降りました。足がふらふら、写真も曲がっています。
途中、東郷平八郎元帥の銅像や日露戦争で活躍した戦艦三笠の砲弾で穴だらけになった甲板の一部があります。
大正十四年四月十七日、元帥自ら臨席し序幕式が行われた。
生前の東郷元帥の銅像は、ここだけです。
戦艦三笠の甲板
砲弾で穴だらけです。
ロシアの野砲
秩父御嶽神社 埼玉県飯能市坂石580 ホームページ リンク
なぜ飯能市にありながら、秩父御嶽神社とあるのをご存じですか。
実は昔は、埼玉県秩父郡吾野村だったのです。飯能は埼玉県入間郡飯能町でした。
聞いた話ですと、バスを吾野に通すためは、許可を得るために多くの支障がありました。
このようなことから、大正10年秩父郡から入間郡に変わったそうです。
ある人の父親は、旧制中学なら飯能方面に通う方が楽だったのに、秩父の親戚に下宿して旧制秩父中学に通ったと聞いたこともあります。いまでも秩父に親戚がたくさんいるそうです。
御嶽神社の脇を抜けて、約2キロメートル。子ノ権現方面に向かいます。
以前から何度も行こう行こうと思いながら、飯能に来て33年、やっと食べにこれました。昔からよく知られたお店です。
昔ながらの古民家
中も趣があります。古い道具、ポスターがありました。
黄桜のポスター、三浦布美子さんは、とてもすてきです。
噂通りの美味しいうどんでした。
浅見茶屋 埼玉県飯能市大字坂石1050番地 ホームページ リンク