2020年08月

小さな薄緑の花 カラスウリと思っていたらアレチウリだった

永代供養塔とペット供養塔の間に、寒椿がありますが、カラスウリを這わせてみました。

かつては檀家さんが断らずに切ってしまいました。

 

 

じっくり見ないと気がつかないと思います。小さな目立たない花です。カラスウリと異なります。

 

 

 

小さな虫たちも来ています。

 

 

かつてあった同じような蔓草がありましたが、遙か大きく白い花でした。これがカラスウリだったのです。

アレチウリは特定外来生物ですので、全て取り去るつもりです。

残念。

 

 

他の場所に実のなった蔓草がありました。

来年は種から挑戦します。

 

←この高温の中 永代供養塔墓誌彫刻作業          アジサイの狂い咲き→

 

この高温の中 永代供養塔墓誌彫刻作業

まだまだ暑い日が続いています。

今日は気がつくと、永代供養塔墓誌に戒名などを彫刻していました。

慌ててカメラを取りに行きましたが、終わる間近です。

 

 

先程まで鉄粉を吹き出す音がしていましたが、静かになっています。

 

 

完全防備のような姿で、作業をしていたことが分かると思います。

この暑い日差しの中、鉄粉と石の破片が飛び散るのですから、楽な仕事ではありません。

 

 

丁寧な仕事をしていただきました。

 

 

当寺の墓誌に彫刻する文字は、他の寺院や霊園などに比べると、大きく彫刻されています。

墓誌も大きく、見栄えの良い納骨の施設です。

契約された方の全てが彫るわけではありませんが、後々残るお名前や戒名ですので、満足度は大きいと思います。

 

←慈母観音像掛軸               小さな薄緑の花

 

慈母観音像掛軸

慈母観音画は、多くの日本画家が描いているようです。

この掛軸は佐々木泰然作の慈母観音像掛軸です。狩野芳崖作品に似ています。

 

 

佐々木泰然を調べると、かなりの作品がネットに出てきます。この作品と同じようですが、似た慈母観音もありました。

 

下の掛軸は有名な狩野芳崖の慈母観音です。

当然巧芸品なのですが、手に入れた掛軸の色が悪く、かなり色調を変えています。

 

 

狩野芳崖は別格です。

 

←永代供養塔の観音様               この高温の中 永代供養塔墓誌彫刻作業

 

永代供養塔の観音様

今朝も永代供養塔の前で勤行を行っていると、観音様のお顔が神々しく感じました。

諸堂を廻り、近在のおばちゃんと立ち話をした後の撮影でしたので、少し感じが変わっていました。

 

 

それでも良いお姿だと思います。

 

 

供養塔内部に観音様が祀られています。

よく見えなくて残念なのですが、正面と同じ天女像が後ろに彫られています。

 

 

まだまだ暑い日が続いています。さらに新型コロナウイルスのために、お参りが減っていますので、祀られている方々も寂しい思いをしているかも知れません。

境内は三密の心配はありませんので、気軽にお参りください。

 

←桜井の別れ 斉藤弓弦作               慈母観音像掛軸

 

「楠木正成と菊水の紋 作者不明」と「楠木正成 桜井の別れ 斉藤弓弦作」掛軸

楠木正成と菊水の紋

正成は後醍醐天皇から菊の紋を下賜されましたが、恐れ多いと菊水紋使用しました。

 

 

後醍醐天皇に最後まで忠誠を尽くしましたが、建武3年5月25日(1336年7月4日)湊川の戦いにおいて戦死しました。

 

 

 

菊水の紋

 

作者の印が押されていますが、マッタク読めません。

 

桜井の別れ

斉藤弓弦作の「桜井の別れ」です。

太平記にある有名な話しです。足利尊氏との決戦前、桜井の駅にて楠木正成(まさしげ)と息子の正行(まさつら)の別れが描かれています。

別れの後、正成は足利尊氏軍と湊川で戦い戦死しました。勝算のない覚悟の戦いでした。楠木正成 wikipedia リンク               楠木正行 wikipediaリンク

戦前であれば、国語や修身の本には、必ず掲載されていたそうです。

私は戦後の生まれでしたが、「月刊歴史読本」を時折購読していましたので、少しは知っていました。桜井の別れ ウィキペディア リンク

 

 

今から45年程前に京都から大阪の寺院詣でに向かう途中、「桜井の駅跡」の案内板がありました。桜井の駅ウィキペディア リンク

桜井の駅ですから、てっきり奈良県の桜井にあると思っていたのが、恥ずかしく思い出されます。

その時、寄らずに行ってしまったのが、今では残念でしかありません。

桜井の駅跡  大阪府三島郡島本町桜井1丁目3  地図

 

 

斉藤弓弦の作品は、上品な顔立ちの人物像が多く見られます。

厳しい戦いを迎える前に、正行に対する深い愛情を感じさせます。

この作品は、マッタク同じ掛軸が複数ネットで散見出来ますが印刷ではありません。

 

 

作者の斉藤弓弦は、宮城県で明治14年生まれ、本名は亀治。小堀鞆音門下となりました。得意画は人物です。

東京淀橋区に住みました。文展・帝展で活躍し、戦後は郷里の丸森町に帰り、創作に励んだそうです。

昭和49年に94才で亡くなられました。

 

※現在この絵は、手元にありません。

 

皇居の楠木正成像

 

 

皇居外苑の楠公レストハウス、観光バス駐車場近くにあります。

 

←序の舞 上村松園作復刻版               永代供養塔の観音様

序の舞 上村松園作復刻版

有名な上村松園が描いた「序の舞」(重要文化財)の復刻版です。

かつて映画やテレビで、松園の一生が取り上げられました。

映画は見ていませんが、テレビ放送はわずかに記憶しています。

 

あの時以来、「序の舞」の巧芸品を手に入れたいと思っていましたが、とてもとても手に入れられるような金額ではありませんでした。

 

上村松園 wikipediaリンク

 

この掛け軸は以前に1500部も作られていました。それだけ人気のある作品だったわけです。

これが数百では、ますます手に入らなかったと思います。

 

日本の建物に床の間がなくなったのが、安く手に入れられた要因の一つでしょう。

 

檀家さんが、御本堂に掛けたこの掛軸を見て、一生懸命撮影をしていました。フルサイズで単眼の高級機です。

私には、とても買えません。

 

←寒山拾得拓本の掛軸                桜井の別れ 斉藤弓弦作

 

ホームページのアドレスが、乗っ取られた某寺院がありました。

 

当寺にご両親の永代供養を希望する方があります。
しかしご両親は関西に住んでおり、もし亡くなられた場合の相談が在りました。

私が行くことも可能ですが、真言宗智山派ならば、京都の総本山智積院が各地の智山派寺院を紹介し、対応していただけることを話しました。
確認のため兵庫県、大阪府の寺院を寺院名鑑だけでなく、ホームページ、ある寺院紹介リンクサイトを見てみました。
しかし、紹介サイトのその一ヶ寺がいかがわしいサイトに乗っ取られていました。

 

 

新しいホームページを作ったために、古いアドレスは使用されなくなっていました。
それに目を付けた悪い業者が、アドレスを再使用したか、以前依頼したホームページ制作会社が、情報を売ったのでしょう。

直ちに某リンクサイトのある部署に連絡し、リンクを外したいただくだけでなく、その寺院にも連絡していただきました。
直ちに対応したメールが届き、私もホッとしました。
まだ新しいホームページにリンクされていませんが、もうじきリンクし直すと思います。

新しいホームページを作るだけでなく、古いサイトの対応も必要なことが、改めて分かりました。



古いアドレスを悪用する人がいることは知っていましたが、当寺と同じ宗派の寺院に目を付けるとは思いませんでした。
寺院のホームページを見ようとしたら、18禁では恐ろしいことです。

アドレスを盗むだけでなく、中には当寺の題名と案内文そっくりな文章が、検索で出て来ることがあります。
しかし、そこをクリックすると、マッタク関係ない商品の販売サイトが現れることが、何度かありました。
間違って、そのサイトの商品に興味を持つと、詐欺サイトのこともあります。

まったく異なるサイトであった場合、それ以上見続けないことが必要です。


追記 新しいホームページがリンクされていました。

寒山拾得拓本の掛軸

たしか高校生の頃、森鴎外の小説を読んだ記憶があります。

また、京都のどこかの寺?で、墨絵の掛け軸を見たことがありました。二人とも前を見ていたと思います。

かなり以前に求めた掛軸です。よく知られるこの拓本は、記憶にある絵とはマッタク異なっています。

 

 

唐代の寒山寺に伝わる二人には、いろいろな伝承が残されています。寒山拾得wikipediaリンク

普賢文殊の化身と言われているですが、後世多くの禅僧に注目されました。

 

 

多くの人が寒山拾得図を描いていますが、良い作品は高価すぎて私には無理そうです。

 

東京都青梅市の寒山寺は「澤乃井」「ままごとや」の一角のような施設(寺)ですが、階段上部右脇に寒山拾得の姿が彫られた碑が建てられています。リンク

おそらく、この図を写したものと思います。約5年前の写真です。

 

青梅市 寒山寺

 

 

澤乃井から吊り橋を渡り、対岸に寒山寺が在ります。

「澤乃井ままごとや」には、かつて家内と時折食事に行きました。好きな場所です。近くの澤乃井・櫛かんざし美術館は面白い施設です。

 

←日射病で救急車で緊急搬送               序の舞 上村松園作復刻版

 

日射病のため救急車で緊急搬送

先日の朝4時45分に急に胃が痛くなりました。

歩くことができず、家族に119番を依頼し、緊急医療センター搬送となりました。

家族が保険証など、私が通院している病院へ持っていく袋を忘れずに手に持っていました。

 

 

二階から降りられませんでしたので、救急隊員が降ろしてくれました。

救急車に搬送され病院に着くと、レントゲン、脈拍、血圧、体温などを検査です。

普段の脈拍から10低く、血圧は上下とも20も低くなっています。

 

すぐに点滴も行われます。

途中嘔吐すると、急に楽になりました。

 

以前のように入院と思っていましたので、着替えは用意しませんでした。

来たときのパジャマを着ましたが、汗ビッショリでした。あんなに汗でぬれたのは初めてです。

手続きが終わり、戻ったのが午前8時半です。

 

家内が担当者に聞いた話では、軽い日射病だったのだろうと話していました。

お盆中に無理をしていたようです。

 

70歳一歩前ですので、もっと気を使わねばいけなかったと思います。特に夜の冷房は必要と思いました。

昨日あたりから、いつもとそれほど変わらない体調となりました。

 

多くの方々にご心配をお掛けしました。皆さんも、この異常気象ですので気をつけてください。

 

←小さな猫の七福神               寒山拾得拓本の掛軸

 

小さな猫の七福神

猫大師を迎えましたが、犬や猫に関する神仏の像を検索していると、猫の七福神が見つかりました。

気軽に飾っておくには良いと思い、購入致しました。小さな七福神?です。

 

左から福禄寿、布袋、弁財天、恵比須、毘沙門天、大黒天、寿老人だと思います。

 

 

御本堂の七福神像前に祀っています。

 

追記 2020/11/07

石屋さんが上記の猫七福神を阿弥陀堂に飾りたいと言うので、他の猫七福神を求めました。

 

 

←八坂神社例大祭             日射病で救急車で緊急搬送

 

ページ上部へ