2023年04月

太平山神社 栃木市

太平山神社(おおひらさんじんじゃ)には表参道の階段約1,000段を登り参拝の予定でしたが、見ただけで山上の駐車場に向かうことにしてしまいました。

駐車場から楼門に向かいます。

 

随神門から下の階段を見る。

 

ここは天長4年(827年)に慈覚大師円仁により創建された神仏混交の寺院でした。

ここの随神門の案内板は仁王門でしたが、廃仏毀釈後に仁王と神像安置場所が入れかわったことが書かれています。

 

 

 

八代将軍吉宗公によって建設されています。

下の駐車場から来た40代の女性二人が、あとどれくらい登るのかと後悔していました。かなり長い階段ですから無理もありません。

 

先ほどの女性達が疲れ切って休んでいました。

 

81歳の男性は下から歩いて、私を追い抜いていきます。

 

やっと神社に到着です。

先ずは本殿に参拝しました。

瓊瓊杵命・天照皇大御神・豊受姫大神が祭神です。

 

やはり上まで車で参拝に来られる方の方が多いようです。

平日でありながら、次々と参拝者が来られていました。

 

以前ここの本殿と星宮神社の写真を見せてくれた檀家さんがいました。

栃木県の出身で、元気な頃は実家の墓参りと太平山神社参拝によく出かけたと話していました。

江戸期の星宮神社本尊は、虚空蔵菩薩を祀っていたと思います。

 

円通寺第二世の大慶大師救海像がありました。

この寺は現在栃木市場内町にありますが、天長2年(825)慈覚大師円仁により太平山に創建されています。

 

 

太平山真野谷の石室で、53歳の時自ら応永23年(1416年)入定されています。

時の朝廷は救海に高慶大師の称号を与えました。

 

太平山神社  栃木県栃木市平井町659 地図link

真言宗豊山派 太山寺 栃木市

廃仏毀釈以前は山頂に太平山大権現を祀り、日月天を祀る天台宗寺院三ヶ寺が手別当でした。太平山大権現は太平山神社となっています。

天長4年(827年)に慈覚大師円仁により創建されています。

月を祀るのが太山寺でした。

 

御本堂には不動明王・文殊菩薩・大日如来・釈迦如来・大威徳明王・薬師如来などが祀られています。

枝垂れ桜は栃木市の天然記念物に指定されています。もう10日早く訪れれば、見事に咲いた花が見られたはずです。

 

弘法大師像の脇階段を登ると、途中に清龍堂がありました。

八大龍王の内・青龍大権現をお祀りしています。

 

さらに登ると千手観音を祀る観音堂です。

 

観音堂から天真堂(豊川稲荷)に向かいました。

荼枳尼天を祀ります。

 

 

豊川稲荷の近くには弁天堂があり、琵琶を持った弁財天を祀ります。

 

さらに北に登ると豊川稲荷奥の院に至ります。

 

奥の院近くには日本榎稲荷荼枳尼天の社も祀られていました。

 

太山寺ホームページlink

 

太山寺  栃木県栃木市平井町714 地図link

 

岩船山高勝寺 地蔵菩薩の聖地 栃木市岩舟町

岩舟山の山上にある高勝寺は、子授・子育・安産の地蔵信仰で知られています。

 

 

案内板にあるように地蔵信仰の前には仏教以前の信仰があります。

人は亡くなると山に帰ると言われていました。山の神はご先祖様です。

関東では一番有名な場所は筑波山です。

三重県では朝熊嶽金剛證寺です。山上には沢山の大きな卒塔婆が並んでいます。 金剛證寺ブログlink

奈良の三輪山なども同じような歴史があったのではと思っています。

特に平地から独立した穏やかな山が尊ばれたようです。

山や平地でも山の神を祀る神社や社に他の神々を合祀する過程で、八幡神社や御嶽神社、住吉神社などとなっていきました。

 

高勝寺には古い信仰の跡に地蔵菩薩信仰が入り、多くの方々が子授・子育・安産の地蔵信仰のメッカとして変わってきたのだと思います。

あとでご紹介する賽の河原のお地蔵様が、昔の信仰を伝えているのかも知れません。

子供や水子は死しても生まれ変わると考えられていたのです。

 

高勝寺の地蔵信仰は以前からあったようですが、宝亀元年(770年)に伯耆国に弘誓坊明願が岩舟山上において、金色に輝く地蔵菩薩に現れ伏し拝みました。

翌年再び訪れ、この地にとどまったのが高勝寺の始まりです。

 

御本尊はお地蔵様です。

閻魔大王や奪衣婆も祀られていました。

 

御本堂脇の血の池には、たくさんの石塔やお地蔵様の石仏が建立されており、卒塔婆が納められて信仰の深さを物語っています。

お彼岸には沢山の方が参拝に訪れるようです。道路が狭く、駐車場も対応困難のため、下から歩いて登ることになっています。私が参拝に訪れると下から歩いてこられた方がいました。

山の下の参道には駐車場があるそうです。参道は岩舟駅の近くです。

毎年5月の第3日曜日には子育講がおこなわれ、多くの方々がお参りに来られています。

 

 

鐘楼

 

三重塔

 

西を望むと、この山上の高さを実感します。

奥の院には向かいませんでした。

 

賽の河原には、水子山やお子さんを亡くされた方々が、多く来られているようです。

 

西院の河原堂

 

高勝寺ホームページlink

岩船山高勝寺  栃木市岩舟町静3 地図link

 

慈覚大師円仁修行の寺・高平寺 誕生寺 栃木市岩舟町

真言宗豊山派 高平寺

 

天台座主慈覚大師円仁が9歳まで修行した寺です。元慶元年(877年)に宥栄が開山したと伝えられています。

円仁は延暦13年(794年)に生まれ、 貞観6年1月14日(864年)に亡くなられています。

現在は天台宗でなく、真言宗豊山派に属しています。

 

元和元年(1600年)天台宗から真言宗に代わり、現在の足利市にある鶏足寺末となっています。

高平寺も末寺18ヶ寺を擁する中本寺でした。

 

御本尊は不動明王です。

 

 

駐車場

 

(バン)字の池は、梵字で大日如来を表しています。

 

 

真言宗豊山派 高平寺 栃木市岩舟町下津原1457−2  地図link

 

高平寺別院 誕生寺

慈覚大師円仁は、ここでお生まれになったと伝えられています。

他に壬生町の壬生寺とする説もあるようです。

 

高平寺は元々この地にありましたが、後に下津原に移転しています。

 

御堂の隣には慈覚大師誕生霊蹟碑や慈覚大師の銅像がありました。

 

円仁が生まれたおりに、この井戸を使用したので産湯の井として大事にされています。

 

 

かなり広い駐車場がありますが、大型バスでの参拝は道が狭く無理なようですが、近くの広い道から歩いても、せいぜい100㍍です。

 

高平寺別院・誕生寺 栃木市岩舟町下津原1198  地図link

 

みかも不動尊 栃木市

みちの駅みかもに寄ると、北側にみかも不動尊(三毳不動尊)が見えました。

千手観音寺の分院で平成10年(1998)の開創です。

Googleマップで千手観音寺を見ると、実質本院の役割をしていることが分かります。

 

まだまだ境内整備を予定しているようです。

 

銭洗い不動は初めて見ました。脇で車の安全祈願を行っているようです。

 

御本堂の御本尊は、当然不動明王です。

御護摩などの御祈願は、ここで行っています。

 

荼枳尼天殿は当然稲荷大明神をお祀りしています。

 

閻魔殿には閻魔大王と十三仏像が祀られていました。

 

仁和寺のポスターがありましたが、仁和寺関連の真言宗単立寺院なのかも知れません。

 

みかも不動尊 栃木市藤岡町大田和747 地図link

慈覚大師円仁ゆかりの腰掛石と独鈷水御堂 栃木市岩舟町小野寺

慈覚大師円仁は第三代延暦寺座主です。

壬生氏の子として誕生しましたが、生まれたのは岩舟町と佐野市・壬生町の三ヶ所の説があります。

独鈷堂は岩舟町小野寺にあります。

 

 

腰掛石

案内板がありましたが、ここには駐車場がありませんので、空き地に駐めさせていただき歩くことにしました。

道路は小さな車しか通れません。

しかし、地元の車と思われる軽自動車が出てきました。

 

 

円仁は9歳で近くの大慈寺のにて修行を始めました。

伝承では、その当時か塔から帰国後に巡錫のおり座禅を組んだと伝えられているようです。

さらに独鈷水御堂に向かいました。

 

独鈷水御堂

奥まった場所を左に折れると独鈷水御堂に至ります。

 

 

干ばつで農作業が出来ずに困っていた人々のために、円仁が獨鈷杖で地面を突くと水が湧き出したの伝承があります。

 

 

独鈷水の井戸

 

 

こちらは「獨鈷水御堂 一隅照豊庵」です。

ここの独鈷水御堂と腰掛石を整備している「今野豊」さんの庵です。

 

ここでは座禅と写経を定期的に行っているそうです。

 

この場所でしたら駐車が可能だそうですが、途中すれ違い出来ない狭い道が多く、注意する必要があります。

責任は持てません。

 

独鈷水御堂 栃木市岩舟町小野寺 地図link

村檜神社 栃木市岩舟町小野寺

慈覚大師円仁ゆかりの大慈寺参拝前に隣の村檜神社(むらひじんじゃ)を参拝致しました。

延喜式内社の下野國三之宮ですから、由緒や社格が高いことが知れます。また栃木市小野寺郷の総鎮守でもあります。

 

神門は建物の下をくぐつて本殿に向かう造りとなっています。

甲州市の大善寺楽屋堂を思い出します。大善寺ブログlink

 

社殿は室町時代の建物で、国の重要文化財に指定されています。

 

すぐ隣が大慈寺ですから何かしら関連があるはずと思いましたが、何も記されていませんでした。

廃仏毀釈が関連しているように思います。

 

これだけ立派な神社ですが、宮司さんが常駐していないようでした。

 

境内には大きな樹木が鬱蒼としています。

参道には樹齢1000年の杉があるようです。

 

境内には西宮がありました。

境内の下末8社を合祀しています。

 

栃木県栃木市岩舟町小野寺4697 地図link

 

真性院と宝篋印塔 栃木市岩舟町小野寺

真性院は近くの大慈寺の末寺であるか、廃寺のため地域の方々により維持されてきたのかは分かりません。

しかし、先ほど訪れた小野小町の墓と同じく、須藤氏が下の宝篋印塔の覆い屋は整備しています。

 

中心にある宝篋印塔の中に経筒が納められていました。

経筒に納められていたのは、宝篋印陀羅尼一千巻でしたが、残されていなかったようです。

 

経筒には享保十三年(1729年)に歓應と常心の僧侶、5名の個人名が彫られています。

 

 

 

 

この後に円仁ゆかりの独鈷水に向かいました。

 

真性院  栃木市岩舟町小野寺 地図link

慈覚大師円仁ゆかりの天台宗大慈寺 栃木市岩舟町小野寺

大慈寺は行基が建立した寺院です。

近くの村檜神社では奈良時代の瓦が出土されています。

 

天台宗の最澄は東国巡錫のおり当寺にて大乗戒の授与をし、ここを東国における天台宗の足場としました。

 

さらに慈覚大師円仁が9才から6年間修行したの寺として、天台宗の別格本山となっています。

慈覚大師は第三代天台宗延暦寺座主となっています。

 

また第四代天台座主・安慧もここで出家しているのです。

 

御本堂御本尊は薬師如来です。

 

慈覚大師円像

 

円仁堂前にはツツジが咲き誇り、良い時期に参拝したと思いました。

更に奥の院とツツジの群落に向かうつもりでしたが、時間の都合で諦めました。

 

相輪橖(塔)は最澄が日本国内の6箇所に建立を計画した六所宝塔の1つです。

 

こちらの御堂は薬師堂で、御本堂と二ヶ所薬師如来が祀られているようです。

小野小町の伝承が残されており、小野小町七佛薬師と言われています。

 

大慈寺 栃木市岩舟町小野寺2247 地図link

小野小町の墓 栃木市岩舟町小野寺

大慈寺と村檜神社の近くに「小野小町の墓」(伝説)と伝わる墓があります。小野小町が身投げをしたと伝わる伝承があり、近くに身投堂の地名もあるようです。

地名が小野寺ですので、他の女性の言い伝えと結びついたのかも知れません。

50m先ですが、ここからは車では行けません。

 

思ったよりきれいに整備されていました。碑文に記された須藤氏の尽力によるものです。

ネットで昔の写真を見ると、草に埋もれていました。

 

自然石に「小町墓」とあります。

 

明和の頃の古文書にも記されています。

 

日本各地に小野小町の墓と伝わる所が残されていますが、同様にに出身地と伝わる場所も数多くあります。

小野小町ウィキペディアlink

 

小野小町の墓(伝説)  栃木県栃木市岩舟町小野寺2330-1 地図link

 

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