2003年05月

曹洞宗 宗格院 東京都八王子市

この前に行った了法寺と同じく、八王子七福神の札所となっています。

八王子千人同心の頭である山本忠房が開基となり、弟の价州良天により開山となりました。

 

寳珠閣に寿老人が祀られています。

 

 

八王子総奉行の大久保長安により、反乱を繰り広げる浅川に土手が築かれました。

この土手の一部が境内に残されているようです。

 

 

松本斗機蔵の墓があります。恥ずかしながらマッタク知らない人でした。

千人同心組頭・松本胤保の長男で、胤親は湯島の昌平坂学問所で学び、海外事情に精通し天保8年に日本開港を主張しました。

 

 

 

曹洞宗 宗格院 東京都八王子市千人町2-14-8

 

日蓮宗 了法寺 東京都八王子市

了法寺は八王子八福神弁財天の札所になっています。

この日も女性二人が、弁天様の参拝に来られていました。

 

私の目的は、御本堂前の宇賀神様です。

 

 

こちらも弁天様と同じとする考えがあります。

中世以降に八臂弁財天の頭上には、鳥居と宇賀神が乗った御尊像になりました。

浄行菩薩の石仏も祀られていました。

 

宇賀神

 

了法寺 東京都八王子市日吉町2-1

 

追記 2019.02.26

いつの間にか美少女イラストの萌え寺となっていました。

 

須賀神社と阿豆佐味天神社 東京都武蔵村山市 瑞穂町

このあたりに出かけたおり、二ヶ所の神社を参拝しました。

須賀神社

寛永10年(1633)に悪疫鎮護のために、2㎞離れた後ろの山に牛頭天王をお祀りしたそうです。

参拝しやすいように遙拝所をもうけました。これが現在のお社です。

 

 

散策コースに選ばれていました。参道を撮すのを忘れていました。

落ち着きのある道です。

 

 

須賀神社 東京都武蔵村山市岸2丁目24−3

 

阿豆佐味神社

須賀神社の西にあります。

かなり長い参道があります。桜の木が多いですので、この時期は参拝者が多いのかも知れません。

他の阿豆佐味天神社の総本宮だそうです。また村山郷の総鎮守です。

寛平4年(892)に桓武平氏の祖・高望王が創建したと伝えられ、武蔵七党の内、村山党(高望王の子孫で秩父平氏)の氏神でした。

 

 

祭神は菅原道真公と思っていましたが、少彦名命・素戔嗚命・大己貴命でした。

ここも桜の長い参道があります。

 

 

阿豆佐味天神社  東京都西多摩郡瑞穂町殿ヶ谷宮前1008

 

榛名神社と銀明水 群馬県沼田市

榛名神社の前身である榛名権現は沼田一帯の総鎮守でした。

享禄2年(1529)に、沼田顕泰が寶高大明神(倭建命)の地に倉内城を建てることにし、他の場所にあった薄根大明神(菅原道真公)・埴山姫命をあわせ祀りました。後に沼田城となりました。

現在のお社は、真田信之公により改築され、家紋の六文銭を御扉の上に描きました。

その後、榛名権現となったようです。

 

 

明治2年に榛名大神(榛名神社)と改められました。

 

 

ここの手水舎の水は、銀明水と言われ、沼田城ができる前より湧き出でていました。

 

 

 

榛名神社 群馬県沼田市榛名町2850−19

 

須賀神社と大欅 群馬県沼田市

須賀神社は文和年間(1353~1355)に沼田城主・沼田小次郎が城下の鎮守として、鍛冶町に住吉社と天王宮を祀ったのが起源だそうです。

慶長年間(1596~1615)に、真田信幸がこの地に移したと伝えられています。

祭神は素戔嗚尊です。廃仏毀釈以前は牛頭天王を祀っていました。毎年、祇園祭が盛大に催されます。

 

 

本殿の裏に大欅があります。

 

確かに大きな木でした。

 

 

拝殿脇にも二本の大欅があります。

 

 

須賀神社 沼田市中町1141

 

真言宗豊山派 仙蔵寺 群馬県藤岡市

仙蔵寺は鎌倉時代の文応元年(1260)に開かれ、室町時代中期に関東管領上杉憲実により中興されました。

 

 

掲示板を読むと、この地域が重要な都市であったことを知る事ができます。

 

 

真言宗豊山派の寺院の多くは、御本山長谷寺のように牡丹を植える寺が多く見られます。

 

 

アチコチに牡丹がありました。

 

御住職とお話をさせて頂くことができました。

都内で高校の英語教師をされていたそうです。ここから通っていたのですから、並大抵の方ではありません。

 

 

蓮舎御住職は退職してから、上杉氏に関する研究を行い、「 平井城興亡記 山内上杉一〇〇余年の光と陰」を著しました。

それまで知られていた歴史と異なる、新たな発見、見解も書かれています。

多くの歴史学者からも一目置かれる研究だったそうです。帰ってからネットで調べると、新聞社や講演の記事が見受けられました。

 

平井城興亡記 山内上杉一〇〇余年の光と陰

 

いろいろ上杉氏に関するお話を聞くことができました。

さらに本を一冊いただいただけでなく、昼食に奥様の手打ち蕎麦まで用意して頂きました。

申し訳なく思っています。

 

仙蔵寺 群馬県藤岡市西平井202

 

三嶋神社 平井城跡 群馬県藤岡市

妙見菩薩が群馬県引間の妙見寺から秩父、千葉に移る途中には色々な説があります。妙見寺→武蔵平井→寄居藤田→秩父と書かれている資料がありますが、こは武蔵国ではありません。他の武蔵野国平井では、次の寄居や秩父への流れが不自然になりますので、江戸川区の平井より上野国平井(藤岡市)が自然だと思います。

ここから南に行けば、寄居に行くことができます。

私の「妙見信仰」を参照してください。妙見信仰link

 

三島神社は上ノ社と下ノ社があり、夜祭りが11月14日に行われます。

秩父の妙見さまと同じような流れです。このことからも妙見菩薩の移動をこことする説があるのです。

しかし、ここの三島神社では時代が異なります。他の有力な寺院か神社、有力な武士団の館だったかも分かりません。

 

14日昼に神輿が下ノ宮から上ノ宮に渡御しますので、先ずは下ノ宮から記載します。

下ノ宮

次に行く上ノ宮とは、かなり規模が異なります。

 

三嶋様の夜祭りは、ここから始まります。

 

 

ここの祭礼は、古来からの祭りの形態を残しているのだそうです。

社の東脇の木はムクロジです。この実が羽子板の黒い球に使用されます。看板に推定120年とと表示されていました。

 

 

三島神社下ノ宮  群馬県藤岡市西平井1742

 

三島神社上ノ社

関東管領上杉顕定により、伊豆の三島神社より分祀し、近くにある平井城の氏神としました。

この鳥居手前あたりが、平井城跡との境だったようです。

 

 

拝殿と思いますが、他にない作りです。

祭礼に必要な造りなのでしょう。

 

三島神社上社 群馬県藤岡市西平井192−1

 

平井城跡

三島神社上ノ社からは東にあります。すぐ近くです。

 

 

ごく一部だけしか整備されていません。

七枚の掲示板は、この城跡を知るには良い試みだと思います。

 

 

ただの城跡ではなく、この時代は多くの人が住む街だったようです。

文人墨客も数多く訪れていました。

 

平井城跡 群馬県藤岡市西平井235-1外  地図

 

ページ上部へ