2016年02月

浄土宗 九品仏浄真寺 ー 東京都世田谷区奥沢

今日は家内の実家に荷物を届けるために都内に出かけました。

お寺の住職でありながら、日曜日に出かけたのは、実家にいる私の長男と家内の都合に合わせるためでもあります。

 

今回もAさんに運転を依頼しました。

テレビで見ると、私のような水瓶座が一番事故を起こす確率が高いのだそうです。

そうでなくとも退院後注意力がますます散漫となり、遠方は自分でも自信がありません。自分で運転するのは近場だけです。

 

時間が早かったので、近くの九品仏浄真寺に寄ってきました。  浄真寺Facebook

 

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2016228195138.jpg長い参道

 

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ご本堂

本尊・釈迦如来

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仁王門(紫雲楼)

阿弥陀様と二十五菩薩が楼上に祀られている。

境内はとても広く、新緑や紅葉の名所です。

義父母も元気なときは、よく散歩に来ていたようです。

 

 

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上品堂

 

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下品堂

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中品堂

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上品堂の阿弥陀如来

 

三仏堂といい各お堂には、大きな三体の阿弥陀如来が祀られており、計九体の御尊像です。

祀り方は異なりますが、九体祀られている京都府木津川市の浄瑠璃寺がよく知られています。 浄瑠璃寺

ちなみに浄瑠璃寺は吉祥天がよく知られていますが、九体の国宝の阿弥陀様も素晴らしい御尊像です。

 

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鐘楼堂

 

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閻魔様と奪衣婆

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本堂脇の池

 

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九品佛縁起  本堂で販売しています。700円

 

九品仏浄真寺でよく知られているのは、三年毎に行われる『来迎会』(らいごうえ)でしょう。「おめんかぶり」として知られています。

二十五菩薩の面をかぶって、三仏堂から本堂に行堂する儀式です。

お面かぶりは11時と17時の2回あり、檀家さん以外でも二十五菩薩のいずれかの役を体験できるそうです。

 

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来迎会ユーチューブ

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三年ごとに行われますが、平成29年から5月5日になったそうです。

8月16日では、さぞかし暑かったでしょうね。

年々温暖化のため対応に迫られたのでしょう。良い判断だったと思います。

 

 

所澤神明社-埼玉県所沢市

堀兼神社の後に所澤神明社に向かいました。   所澤神明社

神明社とは伊勢神宮内宮を総本社とする神社で、天照大神を祭神としています。

ちなみに所沢の由来は野老澤(ところさわ)で野老とは山芋のことです。

 

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神明社拝殿

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本殿

神明社は所沢市街では最も豊かな緑を残しています。

市街から離れると狭山丘陵、狭山湖、トトロの杜などもっと緑豊かなところがありますが、市街では貴重な場所です。

 

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初めての所でしたので、駐車場が分からず、東側の拝殿脇の駐車場に止めさせていただきました。なんとなく申し訳ない気がします。

 

境内をくまなく巡りましたが、三ヶ所駐車場があることが分かりました。

 

2016225223432.jpg南側正面参道の左右に少ないですが、駐められます。

しかし、道路は西側からの一方通行でしたので、東西が便利なようです。

 

201622522389.jpg西側参道の奥
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東側拝殿脇

所澤神明社  埼玉県所沢市宮本町1-2-4

前回の堀兼神社と堀兼の井  

堀兼神社と堀兼の井-埼玉県狭山市堀兼

先日都下に出かける用があり、今回もAさんに車の運転を依頼し出かけました。

途中先方より午後に予定を変更して欲しいと携帯に連絡があり、急遽堀兼神社と所澤神明社に寄ることにしました。

 

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堀兼神社

埼玉県狭山市堀兼2221

 

堀兼神社は社伝には、日本武尊が東国平定の際、浅間社を祭った伝えています。

堀兼神社は浅間神社(富士山)としておそらく盛り土の上に建てられたお社です。

 

しかし水の便が悪く、あまり民家は無かったようです。

実際にはほとんどいなかったのではないかと思います。堀兼神社もそれほど古くないかもしれません。

新田(畑がほとんど)が開かれ、おそらく江戸初期の古くからの家は、菩提寺が上奥富の瑞光寺ですが、分家や新たに来た人が増えると堀兼に光英寺を建立し、そこの檀家となったようです。

瑞光寺の檀家は、ごくわずかだったと思います。

 

この神社の前の通りは「鎌倉街道上道」の支道で川越市の河越館に続いています。  河越氏

源義経の正妻は河越氏の娘でした。嫁ぐときは、この道を行ったのではないでしょうか。最後まで義経と共に母子は奥州までついて行きました。

 

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河越館跡史跡公園

 

堀兼神社には、よく知られる「堀兼の井」があります。

武蔵野の堀兼の井もあるものを うれしや水の近づきにけり(藤原俊成)

他にも西行、清少納言、紀貫之などが詠んでいますが、必ずしもここであるとは言えないようです。

 

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堀兼の井

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このような井戸はまいまいず井戸と言われ、昔々まだ井戸を掘る技術がない時代は、らせん状に掘り下げて使用したそうです。

この井戸に似た古い井戸は、40年ほど前に京都の随心院(伝・小野小町化粧井戸)で見たのが初めてです。 

 

各地の古い井戸

各地まいまいず井戸の画像

まいまいず井戸

 

堀兼の井とは掘りがたい井戸と言う意味だと聞いたこともあります。

 

 

この近くの北入曽に「七曲井」があります。

昭和45年に発掘調査を行った、常泉寺前ご住職(当時は狭山市の教育委員会勤務)は発掘調査の記録に、この七曲井が堀兼の井であると書かれていたのを思い出します。

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常泉寺観音堂と七曲井   狭山市北入曽1366

境外仏堂

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観音堂すぐ近くの入間野神社にある鎌倉街道上道(かみつみち)の案内板

 

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入間野神社

狭山市大字南入曽641

 

所澤神明社は次回に致します。

墓誌彫刻

永代供養塔の墓誌に彫刻の依頼を致しました。

 

2016223191520.jpg永代供養塔の墓誌
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朱文字は生前予約、ご夫婦や親子での申し込み。

 

いつもは10日ぐらい前に依頼すれば良いのですが、雪の影響で今回はかなり遅れました。

残念ながら納骨に間に合わない家もありました。

以前はお墓ようの墓誌には直接彫るのではなく、茨城県の真壁に持って行き依頼していたので、かなり期間が必要でした。それに比べれば速い物です。

 

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鉄粉をコンプレッサーで吹き付けますので、硬い石もきれいに文字の彫刻が出来ます。

最後に掃除をし、文字に白と朱を入れます。朱は没後に白く塗り直します。

 

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型をはりつけ、文字を抜き出します。

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コンプレッサーで鉄粉の吹きつけ。

風下では粉塵が目に飛び込みます。

鉄粉は雨やしけっているとき、内部で固まってしまうために、工期が遅れてしまうのだそうです。

きれいに仕上げていただきました。

 

昔は墓誌に彫刻することはなく、箇々や夫婦などで、それぞれ石塔を建てました。

さらに火葬での納骨ではありません。棺のまま土葬ですから、お墓もかなり広い面積が必要でした。

 

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箇々の墓石

 

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墓誌

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石塔への戒名等の彫刻

 

永代供養塔は箇々の家のお墓でなく、跡取りがいても共同墓地として利用している方も増えています。

 

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泉寺永代供養塔

 

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観音寺の孔雀明王石仏-埼玉県飯能市

観音寺さんへ用があり、ついでに境内を散策してきました。

 

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孔雀明王石仏

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足下から像高が約130センチ

お水屋のとなりに祀られています。

以前はなかったような気がします。飯能市教育委員会刊の「飯能市の石仏」にも無かったので、新しくお迎えした御尊像かもしれません。記憶違いかもしれません。

でも古そうにみえます。

 

孔雀はインドにおいて毒蛇やサソリを食べるために、災厄を取り除くとし信仰されていました。

孔雀明王は密教に取り入れられ、孔雀明王法は鎮護国家の法として特に重要視されていたのです。

 

私も以前、孔雀明王像を手にしたことがありましたが、欲しいと言われ友人に差し上げてしまいました。

私には合わない気がしたからです。力がないので手に負えないと感じました。

祀っているだけなら問題ないのでしょうが。

 

かつて智積院で孔雀明王には手を出さない方がよいと言われたことがあります。かなり力のある僧侶でも躊躇するほどの力を持っているのだそうです。

智積院孔雀明王

差し上げた友人は本堂で祀っているようですが、元気にしています。

 

真言宗智山派では総本山智積院の孔雀明王の掛け軸が重要文化財になっており、何度か目にすることがありました。

確か鎌倉時代の作だったと思います。

 

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本堂前の紅梅、暮から咲き出します。

もう盛りを過ぎていました。

 

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観音寺と言えば、白象です。

2016212183442.jpg鬼子母神様

 

 

観音寺 リンク

成田山新勝寺清滝権現堂

 

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清滝権現堂

201621120227.jpg成田山新勝寺大本堂

 

成田山は円泉寺と同じ真言宗智山派ですが、月とすっぽんの違いがあります。

成田山は当派の大本山、当寺はほとんど知られていない小さなお寺です。

なお、成田山は平将門調伏の御祈願で有名なお寺ですが、円泉寺の妙見様は平将門関連の御尊像です。 円泉寺妙見堂

神田明神や将門公関連の地区では、成田山へのお参りは許されない行為です。

 

デモねー、成田山や関連寺院には同じ智山派ですので知り合いがいっぱいいます。友人の成田山の弟子にご法事を手伝ってもらったこともあります。

同宗派ですので、行かなくてはいけないときもありました。

 

今日は成田山法類会があるようです。全国から来ているのでしょう。駐車場には仙台ナンバーに乗っている僧侶がいました。

一人知っている僧侶の姿がありました。時々会う後輩もいるかもしれません。携帯で連絡しようかとも思いましたが止めておきました。

 

今回の目的は、妙見様を調べている私は、今回清滝権現堂に祀られている妙見菩薩をお参りに行くことでした。

清滝権現堂には清龍権現と共に地主妙見菩薩が祀られています。

妙見様は成田山がここに移ってくる前からの地主神だそうです。

 

でも不思議ですねー。千葉県内の妙見菩薩、特にこのあたりは、平将門の子孫(一族?)が関連していますよね。おそらくここもそうだと思います。

千葉氏系の妙見様が祀られている所に、近くの君津ヶ原から成田山が引っ越してきたわけでしょうか?。

 

と言いながらも、当円泉寺は平将門を倒した藤原秀郷の末裔と言われる佐藤さんが20件ほどいます。

さらに地元の檀家さんで、成田山の御護摩札を毎年申し込んでいる家もあるのです。

 

千葉県や茨城県では、成田山にはお詣りに絶対行かないと言う人を何人も知っています。

神田明神の氏子さんも当然そのように言っているわけです。

当寺は住職も檀家もいい加減と言われても仕方がないですね。

 

と思ったら、成田山の歴史に文治四年(1188)に千葉常胤(平将門の子孫)が成田山の本堂を再建とありました。

本当に成田山新勝寺は、平将門調伏の寺なのでしょうか?。

 

ちなみに八王子市の成田山伝法院にも妙見様は祀られています。

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成田山傳法院

 

併せて成田山の各施設もお参りしてきました。

 

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総門

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三重の塔

 

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201621121418.jpg出世開運稲荷

 

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奥之院

 

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光明堂

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多宝塔

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境内の梅

 

大本堂の裏は成田山公園があり、自然いっぱいの空間があります。

 

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あまり人が訪れていませんが、ここはぜひ訪れていただきたい場所です。

 

2016211212829.jpg梅林
201621121296.jpg聖徳太子堂

 

もう一つ平将門公有縁の方々には怒られそうな話しです。

実は円泉寺の紅梅の幹で染められた和紙に、あるかな書道の先生が和歌を書かれました。

その作品が成田山書道美術館に納められています。

美術館に見学に行きましたが、館員の方にも先生にも将門公関連の寺であることは言えませんでした。

まさか成田山に奉納するとは思ってもいなかったからです。

 

高田嵩史の「QED ventus 御霊将門」には、成田山では平将門公を毎日供養していると書かれていました。

一度成田山の方に事実か聞いてみたいと思ったのですが、つい言い出せないでいます。

 

成田山ご本尊の古いお姿札です。

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成田山不動明王

 

帰りには参道のお店でお土産を買って帰りました。

 

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追記 2017/02/25

別の私のブログですが、平将門への疑問が少し撮れたように思います。

「鬼門の将軍」高田崇史著 平将門公は怨霊では無かった!

 

 

麻賀多神社ー成田市台方

法華経寺参拝の後、成田市の麻賀多神社に向かいました。    麻賀多神社

延喜式の神明帳にも記載されている古い神社です。

宗吾霊堂前を通りすぎ、右手にみえるのが麻賀多神社です。人数は少ないですが途切れることなく参拝者が訪れています。

 

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麻賀多十八社の本宮とのことでしたが、思ったよりも規模が小さい神社でした。

しかし豊かな緑の境内は、かなり広いようです。

鳥居をくぐる前から、洗われるような気を感じます。法華経寺で感じた不安感が一気になくなりました。

一緒に参拝し、薦めてくれた友人が、ここはパワースポットだと言うのが実感できました。

御本社参拝の後、右回りに巡拝し、小さなお社、樹齢千三百有余年日本一の大杉(ご神木)と順にお参りします。

 

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御神木

 

大杉の周りを回り、杉の気をいただこうとする方が多いようです。

 

次に境内の天日津久神社です。

心ない新興宗教の信者に放火されたのだそうです。

 

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 ここは特に知られた場所のようです。ここを目当てにお参りに来られる方が多いそうです。

 

最期に祓戸の神にお参りし、宗吾霊廟に向かいました。

 

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祓戸神

 

真言宗豊山派別格本山 宗吾霊堂東勝寺-成田市宗吾

麻賀多神社神社の次に近くの宗吾霊堂をお参りしました。  宗吾霊堂

 

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宗吾を祀る本堂

 

義民・佐倉惣五郎を祀る寺院として有名です。

本名は木内惣五郎といい、下総国印旛郡君津村(現・成田市台方)の庄屋をしていました。

年々年貢の取り立てが厳しくなり、藩や幕府の老中にも直訴をしても聞き届けられず、承応元年(1652年)に四代将軍・徳川家綱に直訴をし、過酷な年貢は無くなりました。

しかし、惣五郎夫妻は磔となり、子供も死罪となったそうです。

 

2016210212243.jpg宗吾父子の墓
201621021262.jpg参道

 

義民宗吾として特に有名になったのは、歌舞伎や浄瑠璃で取り上げられたためのようです。

東勝寺には宗吾御一代記館があり、芝居の場面を人形により展示しています。

 

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宗吾御一代記館

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案内板

市川小団次が向上で、「神田明神の祭礼の際に当たり狂言を祈願したところ、夢に白髪の老人が現れ、自分は平将門の霊である。自分の子孫に佐倉惣五郎というものがいて、万民のため命を落とし神と祀られている。」と述べたと伝えられています。

平将門を調べている私としては、ここは一度は行ってみたい所でした。

 

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佐倉惣五郎のお姿

 

 話は変わりますが、参道のお店に相馬焼の茶碗などを売っていました。窯元も震災のため被害にあったそうです。

一緒に行ったAさんは相馬の出身で、今でも実家は原発の近くのため、近付くことも出来ません。お土産に相馬焼の茶碗を買っていました。

相馬氏も平将門の子孫と言われています。相馬焼には繋ぎ駒の文様がはいっているのが特色です。

大堀相馬焼

 

近くで昼食後、反将門の代表でもある成田山新勝寺に向かいました。

 

日蓮宗大本山中山法華経寺妙見宮参拝ー千葉県市川市

本日は市川市の中山法華経寺、成田市の麻賀多神社、宗吾霊堂東勝寺、成田山新勝寺に参拝にしてまいりました。

 

Aさんに運転を依頼し、私は後ろの席で威張っているだけです。

途中三人の方と合流し、計五人での参拝でした。

私は妙見菩薩と平将門を調べており、それに併せて各地の神社仏閣、名所を訪れています。     妙見菩薩・平将門資料集

 

まずは中山法華経寺です。

妙見堂には千葉家伝来の妙見菩薩が祀られているそうです。

 

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法華経寺妙見堂

20162921035.jpg向かって左・妙見堂と右・祖師堂

法華経寺駐車場に車を置き、 仁王門よりお参りを始めます。

さすが大本山です。こんなに広い境内とは思っていませんでした。

 

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仁王門

 

次に遠壽院です。   遠壽院

 

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遠壽院荒行堂

 

明日は100日荒行の成満とのことで、準備中でした。

荒行堂は、遠寿院の荒行堂と中山法華経寺本院となりの荒行堂のふたつがあるようです。   かつて中外日報(仏教新聞)にいろいろ書いてあったのを思い出します。

ここの僧侶、在家の方々が、成満の準備をしています。お参りするとどなたも必ず明るい顔で挨拶をしてくれます。

遠壽院は厳しい修行の寺ですが、暖かみを感じることが出来ました。見習わないといけないですね。

 

一緒に行った人が紙垂(しで)を見て、初めて見る切り方だと言っていました。

 

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 確かに知らない形でした。

 

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参道を通り祖師堂・本院に向かいました。

 

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祖師堂

 

本院に向かうと成満の旗が準備されていました。同じ名前の旗が何枚もあります。成満の回数によりるのでしょうか?。

 

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成満の旗  

 

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本院

201629225124.jpg大荒行堂

本院に向かうと、どういうわけか違和感を覚えます。何か私を拒否しているような気分がしてなりません。

大荒行堂にも向かわず、退散しました。

この後、他のお堂ではいつものようにお参りできました。

 

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宇賀神堂

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八大龍王

 

次に麻賀多神社に向かいました。

 

 

 

お焚上げ

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毎年1月の最期の日曜日には、お焚上げを行っています。

こんなに少ない量でのお焚上げは初めてです。

一昨年の祭礼が、地元の一存で取りやめになったことが、一番の原因でしょう。

 

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御供養と異なり御祈願ですので、声を張り上げての修法です。

ほぼ燃え尽きるまでお唱え続けます。錫杖経、般若心経、諸真言を中心に約30分の読経時間でした。

 

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読経前後の諸作法、表白文を入れても40分程度で、いつもよりかなり短い時間で終わりました。

いつもはもっと早く終わらないかと思っていましたが、なにか物足りなさが残ったお焚上げでした。

 

 

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