浅香桜芳春(歌川芳春)の宝船の浮世絵
浅香桜芳春は歌川芳春の別名で、江戸末期の浮世絵師です。
有名な浮世絵師作品を手に入れられるとは、思いませんでした。
あるいは明治初期の浮世絵師のようです。二荒山温泉記略などを描いています。
同じ人なのかも知れません。
歌川芳春であれば貴重な作品と思います。
宝船に七福神が乗り、更に鶴亀・龍・宝珠など縁起物が描かれています。
当寺は武蔵野七福神の札所ですので、一度だけ参拝者に披露致しました。
浅香桜芳春は歌川芳春の別名で、江戸末期の浮世絵師です。
有名な浮世絵師作品を手に入れられるとは、思いませんでした。
あるいは明治初期の浮世絵師のようです。二荒山温泉記略などを描いています。
同じ人なのかも知れません。
歌川芳春であれば貴重な作品と思います。
宝船に七福神が乗り、更に鶴亀・龍・宝珠など縁起物が描かれています。
当寺は武蔵野七福神の札所ですので、一度だけ参拝者に披露致しました。
奥多摩湖に向かう途中、午後1時半頃でした。
若い方々がパン屋さんで、大勢が食事をしたり買い物をしているのを見かけました。
昼過ぎでありながら人が多いことに興味を持ち、帰りに寄ることに致しました。
駐車場は店舗の前だけでなく、少し先にもあります。
午後3時半ですから、当然だったのでしょうが、殆ど売り切れ状態でした。
板ぱーんポテトサラダと、パイの二点を購入です。
板ぱーんは初めて見る形です。
途中のコンビニでお茶を買い、車の中で食べることにしました。
小さな食パンをくり抜き、中にポテトサラダが入っています。
ほんの少しだけ、わさびが入っているようです。
独特な味が、口の中に広がりました。
このパイは、カレーパンでした。
パイは帰ると友人がいましたので、差し上げました。
後で聞くと、パイにカレーが入っていたそうです。
お店の反対側には、現代風案山子が並んでいました。
きれいなマネキンさんです。
かえって調べると、今年の7月11日がオープンでした。
ホームページlに「独自に配合した小麦粉と奥多摩の天然水にポリフェノールを含ませた水で仕込んだ食パン「朝の宴(プレーン)」、大粒のサンマスカットレーズンをたっぷりと混ぜ込んだフルーティーな食パン「レーズンバンケット(レーズン)」、の2種の食パンをメインに販売いたします。ぜひ一度ご賞味ください。 」とあります。
高級食パン専門店とありました。
奥多摩湖に行く折には、お寄りになることをお勧め致します。
山のぱ〜ん屋 森のダンス 東京都西多摩郡奥多摩町小丹波240 ホームページlink
智観寺は飯能でも由緒があり、格式の高い寺院です。
武藏七党の内、丹党に属した中山丹治武信により、元慶年間(877~885)に開かれました。
慶安元年に寺領15石の御朱印をいただいています。
門の脇に六地蔵石幢が祀られています。
大師堂は高麗坂東三十三ヶ所の第一番札所です。
※この札所は活動していませんので、御朱印は頂けない所もあります。無理に御朱印集めをしない方が良いと思います。
御本堂では奥様が掃除中でした。
御本堂西脇を行くと、水戸徳川家の家老となり、さらに常陸松岡藩2万5,000石の大名となった中山信吉一族の墓碑がが多くならんでいます。
高さ3メートルの塚の上にある中山信吉墓は特に立派で、初代藩主として恥ずかしくない墓碑でした。
ほぼ南北に中山家のお墓が並んであります。
左が大日如来です。
親指が掛けていますが、中央は釈迦如来だと思います。
以前、東北の某大名家の子孫の方と会ったことがあります。
先祖をたどれば、ほとんどの方が知っている武将です。
代々之ほとんどの戒名が「院殿大居士」で、分家も檀家となると院殿大居士の戒名が授けられるそうです。
当然普段のお付き合いも大変なのだそうです。
「だからその寺の檀家にはならない」と話していました。
しかし智観寺の檀家さんから、そのような話しを聞いたことがありません。
以前御住職にお目にかかったことがありましたが、とても穏やかな方でした。
智観寺 埼玉県飯能市中山520 地図
市内小岩井の長泉寺です。
珍しい弥勒菩薩の石仏が祀られています。
参道の左右に石仏と六地蔵が祀られています。
石仏堂
左から聖観音、西国観音霊場巡拝塔、弥勒菩薩、十一面観、馬頭観音の順に祀られています。
中尊の弥勒菩薩です。
弥勒菩薩の石仏は、当寺(円泉寺)御本堂にも祀られていますが、弥勒菩薩とハッキリ言えません。
新しい十三仏石仏を祀る寺院では見たことがありますが、古くから祀られている御尊像は珍しいと思います。
六地蔵
高麗坂東札所の観音堂です。
聖観音を祀ります。
無住のお寺と思われますので、御朱印は用意されていないと思います。
円泉寺も高麗坂東札所ですが、昨年今年と一人も御朱印の申込みはありませんでした。
申し込まれても断る寺院などもありますが、無理に巡り悪態をつく参拝者もいると聞きます。
「なぜ○○寺には誰もいないんだ」と言われたことがありました。
高麗坂東は無住寺院や廃寺が多く、実質廃札所となっているのです。
長泉寺 埼玉県飯能市小岩井174 地図link
以前より本物の大津絵が欲しかったのですが、かなり高価でしたので諦めました。
高橋和堂さんの版画版「鬼の念仏」にありますが、印刷された作品に見えます。
縦が色紙と同じサイズです。
芭蕉の句『大津絵の筆の始めは何仏』と書かれています。
大津絵は江戸初期から土産として売られていました。
たくさんの種類があります。
下の二体は土鈴で、大津絵を元に作られています。
下は小さな鬼の念仏土鈴です。
三点共に三井寺の近くで売られていたようです。
ただし、確実なことは分かりません。
この二体の土鈴は、知人へ差し上げました。
いろいろな物に興味を持つ人です。
東光院は江戸初期の開山とする寺です。
天台宗は埼玉県では古寺い院が多い中、比較的新しい寺院なのかも知れません。
高坂駅から約500メートルの近くにあります。
六地蔵
観音堂には聖観音を祀ります。
観音堂の前には三面馬頭観音の石仏が祀られていました。
素敵なお姿をしています。
後で気がついたのですが、墓地の東側の土盛りは古墳(高坂6号墳)でした。
高坂古墳群と言われ、かつてはかなりの数の古墳があったようです。
どこかは分かりませんが、埼玉県で初めて古墳時代前期(西暦250~260年ごろ)の三角縁陳氏作四神二獣鏡が発掘されています。
東光院 埼玉県東松山市高坂926 地図link
二十数年前に高済寺に訪れています。あのあたりを何か探していたときでした。
以前は廻りに民家も少なく、緑の多い寺だったように思います。
高坂駅に約500メートル、大型店舗もありますから、様変わりするのも無理はありません。
以前来たときは高坂館跡の案内板があったのを思いだし、ここによることに致しました。
高坂氏の居城として、さらには北条氏の城として機能したようです。高坂館ウィキペディアlink
現在の高済寺境内よりさらに広い場所が、戦国期に重要な城跡だったことが知れます。
この遺跡は埼玉県選定重要遺跡になっています。
この案内板を見ると、かなり広い規模の城跡だったことが分かります。
境内裏手には加賀爪氏の墓がありました。
徳川となり加賀爪氏は、一万石以上の領地を持つ大名となりました。
直澄の代に領地を没収されました。高坂直澄ウィキペディアlink
高済寺 埼玉県東松山市高坂834 地図link
毛呂山町を通ると、カーナビに浄光寺とありました。
なにか変わった石仏でもないかと寄ることに致しました。
六地蔵と数体の石仏が祀られていました。
ふとみると狐の石像かと思いましたが、猫の供養塔でした。
首に鈴を付けています。
側面には母猫名 みけ 明治二十五年、子猫名? 明治二十九年などと彫られていました。
ペットブームの現在でも、石塔を建てて供養することは希です。
現在のペット霊園や当寺(円泉寺)のようなペット供養塔(納骨堂)など、ないのが当たり前の時代でした。
一石六地蔵と観音様が彫られている石塔が二体祀られています。
これらの石仏に、つい嬉しくなってしまいました。
少し離れた場所に観音堂があります。
御本尊の如意輪観音様は、毛呂山町指定有形文化財となっています。
一石六地蔵の上に如意輪観音様が彫られているのも関連があるのかも知れません。
浄光寺 埼玉県入間郡毛呂山町川角1297 地図link
延暦元年(782)の創建だと伝えられています。
征夷大将軍坂上田村麻呂が内内裏山獅子岩に宮殿を築きました。
後に当地へ遷座し内裏大明神を祀り、平将門が当地に内裏を置いたされています。
春日神社は越生十六郷の総鎮守となっています。
祭礼は毎年10月第2日曜日に行われます。
流鏑馬神事が春日神社と八高線の間に設けられた馬場で行われましたが、昭和41年の台風で流鏑馬が中止されたまま現在では行われていません。
御本社と八坂神社の間にある的に、宮司が矢を射る行事に代わっています。
かつてYahoo!のブログを書いていたgakenchiさんがアメブロに移りました。gakenchiの春日神社ブログlink
私もYahoo!ブログ仲間でしたが、やめるつもりでしたので、あえてgooに移りました。
しかし、まだ続けて書いています。
現在は寺のブログがメインです。
神社の東脇には、八高線が走っています。
神社と線路の対比が面白く、一度撮影したいと思っていました。
春日神社 埼玉県入間郡越生町西和田317 地図link