2021年10月

曹洞宗 浄光寺の猫供養塔 一石六地蔵と観音様石仏 埼玉県毛呂山町

毛呂山町を通ると、カーナビに浄光寺とありました。

なにか変わった石仏でもないかと寄ることに致しました。

 

 

六地蔵と数体の石仏が祀られていました。

 

 

ふとみると狐の石像かと思いましたが、猫の供養塔でした。

首に鈴を付けています。

 

 

側面には母猫名 みけ 明治二十五年、子猫名? 明治二十九年などと彫られていました。

 

 

ペットブームの現在でも、石塔を建てて供養することは希です。

現在のペット霊園や当寺(円泉寺)のようなペット供養塔(納骨堂)など、ないのが当たり前の時代でした。

 

一石六地蔵と観音様が彫られている石塔が二体祀られています。

 

 

これらの石仏に、つい嬉しくなってしまいました。

 

少し離れた場所に観音堂があります。

 

 

御本尊の如意輪観音様は、毛呂山町指定有形文化財となっています。

一石六地蔵の上に如意輪観音様が彫られているのも関連があるのかも知れません。

 

浄光寺 埼玉県入間郡毛呂山町川角1297 地図link

 

 

春日神社 埼玉県越生町

延暦元年(782)の創建だと伝えられています。

征夷大将軍坂上田村麻呂が内内裏山獅子岩に宮殿を築きました。

後に当地へ遷座し内裏大明神を祀り、平将門が当地に内裏を置いたされています。

 

 

春日神社は越生十六郷の総鎮守となっています。

 

 

祭礼は毎年10月第2日曜日に行われます。

 

 

流鏑馬神事が春日神社と八高線の間に設けられた馬場で行われましたが、昭和41年の台風で流鏑馬が中止されたまま現在では行われていません。

 

 

御本社と八坂神社の間にある的に、宮司が矢を射る行事に代わっています。

 

かつてYahoo!のブログを書いていたgakenchiさんがアメブロに移りました。gakenchiの春日神社ブログlink

私もYahoo!ブログ仲間でしたが、やめるつもりでしたので、あえてgooに移りました。

しかし、まだ続けて書いています。

現在は寺のブログがメインです。

 

神社の東脇には、八高線が走っています。

神社と線路の対比が面白く、一度撮影したいと思っていました。

 

 

春日神社 埼玉県入間郡越生町西和田317 地図link

 

世界無名戦士之墓 埼玉県越生町

越生町の正法寺の先に世界無名戦士之墓があります。

越生に近づくと、かなり遠方からも白い建物を見つけることが出来ます。

 

ここには第二次世界大戦後、埼玉県庁に安置されていた遺族の行方のわからない方、また受け取る方のいない御遺骨など2百余柱が祀られているのです。

 

 

今から60年程前に小学校の遠足に来て以来となります。

ハイキングの方が一番多いのでしょうが、軟弱な私は車で近くまで来ました。

すぐ近くに駐車場があります。

 

 

 

世界無名戦士之霊をはじめ、世界民族の霊、萬國萬霊、ビルマ戦没霊、フィリッピン戦没霊、埼玉県戦士之霊、東京都無名戦士之霊、神奈川県無名戦士の霊、石川縣戦士之霊、越生町戦没者之霊などの位牌や英霊名簿も納められています。

 

 

 

昭和30年8月に特定の宗教に関係ない施設として完成致しました。

 

 

ここからは遠方が見渡せます。

 

何組かのハイカーが訪れています。

朝方は越生駅から多数の方々が、報恩寺、正法寺、無名戦士之墓、五大尊などのハイキングコースに向かう姿を見ることが出来るそうです。

 

 

町の先に新宿副都心が見えました。

 

もっと望遠可能なカメラを持ってくればと思いました。

 

今年4月に訪れた山吹の里から見た越生町です。

 

 

右上の白い建物が、世界無名戦士之墓です。

 

この施設は令和2年4月3日に、国の登録有形文化財に指定されてました。

 

 

世界無名戦士之墓 埼玉県入間郡越生町 地図link

 

 

臨済宗建長寺派 正法寺 埼玉県越生町

越生町には歴史ある大きな寺院が三ヶ寺あります。

報恩寺、龍穏寺、正法寺です。

正法寺は鎌倉時代の創建で、足利尊氏が中興したと伝えられています。

 

 

 

山門と閻魔堂の扁額は、ともに山岡鉄舟の揮毫です。

 

 

境内には優れた石仏・石碑が祀られていました。

 

 

地蔵菩薩

 

聖観音

 

閻魔堂には立派な閻魔様が祀られています。

閻魔様の前には、青梅七福神の大黒天も祀られています。

 

 

閻魔様の祭礼が行われますが、今年はコロナのために中止されました。

 

珍しい八大龍王です。

 

不動明王

 

板碑は文永4年(1267)の造立と思われ、越生町では一番古いそうです。

 

正法寺  埼玉県入間郡越生町越生960 地図

正法寺ホームページlink

 

 

 

曹洞宗 聞修院でコール・ノートン展 東京都青梅市

四曲屏風「生命流転」 太古・人間・涅槃・心

 

知人より青梅市黒沢の聞修院で、コール・ノートン展が開催されることを聞き、先日見学に出かけました。

御住職とは20年ぶりにお会いしました。

共に歳をとってしまいましたが、御住職は年上ながらかくしゃくとしています。

以前より座禅やいろいろな催しを積極的に行っています。

 

 

コール・ノートンさんから写真撮影の許可いただきました。

ダメだろうと思っていましたので、小さなカメラで撮影です。

一眼を持っていけば良かったと残念な思いでした。

 

コール・ノートンさんのfacebook

黒服の男性がノートンさん、手前を向いている方が奥様でした。

黒沢に越してきて、5年目になります。

 

頂相

 

鮮やかな絵や水墨画でした。

私には目にしても感じることの出来ない長い歴史、内面などを豊かな色彩とともに描ききっています。

 

 

しかし、ヌードの絵を御本堂で展示させるとは、御住職のすごさを感じます。

次々に見学の方が、訪れていました。

 

 

舞妓

 

当日御住職から知らせてくれた知人の仲間を紹介していただきました。

以前私も会った方々です。

飯能市で合唱サークルを指導している方でした。

以前当寺(円泉寺)にも童謡の撮影で来られています。

 

 

境内も整備されており、以前何度か伺ったときも花が咲いていました。

一年中何かしら咲いているそうです。

広い境内を時間をかけ散策するのも良いでしょう。

 

ここは青梅七福神の札所になっており、お正月には特に多く訪れます。

 

聞修院 東京都青梅市黒沢3-1578  地図link                聞修院ホームページlink

 

曹洞宗 龍雲寺 東京都青梅市

時折、龍雲寺の前を通るのですが、いつもは境内の成田不動堂を参拝するばかりで、御本堂参拝はまだでした。

 

 

御住職がおられ、親切に扉を開けていただきました。

蓮の頃、もう一度訪れたいと思います。

 

 

少しだけ、お話をさせていただき、枯山水の庭園を撮影させていただきました。

 

 

観音堂と不動堂は、道を隔てて南側にあります。

 

 

成田不動堂のいわれを聞くのを忘れていました。

この寺は曹洞宗です。

成田山は当寺(円泉寺)と同じ真言宗智山派に属しています。

 

 

成田山は宗旨に関係なく、多くの方が参拝しています。

ここも地域の方々が、江戸時代に御尊像を勧請したのでしょう。

 

龍雲寺 東京都青梅市黒沢1丁目519 地図link

 

 

滝承天猊下の書 「佳境」

大正15年に書かれた、智積院能化・滝承天猊下の書「佳境」です。

 

 

 

 

 

おそらく智山派末寺檀家さんの家に伝えられていた掛軸と思います。

良い書を手に入れることが出来ました。

 

滝承天猊下

愛知県に嘉永6(1853)10.8生まれました。

甚目寺にて得度。

明治12年に智積院の一山庶務を担当しました。

明治27年、神照寺住職、  明治29年に大須宝生院兼務。

明治39年、長久寺住職。

大正5年、真言宗智山派管長・智積院化主に就任。

昭和8年、川上貞奴が建立した貞照寺の第1世にもなられています。

昭和16(1941)9.11、89歳にて遷化されました。

 

 

三神快運猊下の書「緑帳庭龍晩涼多」

真言宗智山派総本山智積院能化47世・三神快運猊下1836年(天保7年)~1905年(明治38年)の書「緑帳庭龍晩涼多」です。

私は智山派の末席に繋がる住職ですが、私が生まれる46年前に遷化されています。

 

 

恥ずかしながら「緑帳庭龍晩涼多」の意味が分かりません。

一文字一文字は分かるのですが、情けないことです。

豊かな木々に囲まれ、よく手入れをされた庭園にて、夕涼みを楽しむ情景かとも思います。

 

 

三神快運猊下は越後出身です。

1836年(天保7年)に生れ、1843年(天保14年)越後築地宝持院(現在智山派)で出家、1852年(嘉永5年)智積院で学びました。

1857年(安政4年)徳島や淡路などで学び、諸流を伝授した後に郷里に帰っています。1868年(明治1年)宝積院住職となりました。

1880年(明治13年)から宗務を担当し、化主に随行して巡錫しています。

1897年(明治30年)4月2日、智積院化主(46世)。大学林主管、真言宗長者(東寺247世)を兼ねました。

1899年(明治32年)2月13日隠退して大報恩寺(京都市)に隠居。のち宝積院に帰り、1905年(明治38年)5月7日70歳にて遷化されています。

 

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