邑楽町である神社と寺を探していると、篠塚伊賀守史跡の看板がありました。
名前は知っていますが、どのような武将かは覚えていません。
ここは浄土宗大信寺の境内ですが、墓の駐車場は駐められないため、急いで写真を撮って他に向かいました。
大信寺の駐車場に駐めさせていただき、ユックリお参りすれば良かったと後悔です。
墓前に不動明王の石像が祀られていました。浄土宗であれば珍しいですね。
墓前に不動明王の石像が祀られていました。浄土宗であれば珍しいですね。
路地用駐車でしたので急いで手を合わせました。後で気がつきましたが、大信寺駐めれば良かったと思いました。
看板がありましたが、デジカメで写しただけです。
あとでユックリ読みました。
畠山重忠の六代目子孫だったのですね。
足利氏を快く思っていなかったに違いありません。新田義貞などと共に反旗を翻したのは、当然だったのでしょう。
篠塚 重広は広島県の因島、あるいは愛知県上島町の魚島で没したそうです。後世に地元の方々が偲んで墓を建立したのでしょう。
ここのお墓は後世に建立された供養塔なのではと思います。
月岡芳年の浮世絵「篠塚伊賀守貞綱」
追記 2024/05/06
大秦寺から「篠塚伊賀守重廣公 錦絵」が刊行されていました。
篠塚伊賀守御廟所 地図