先日、分骨に反対する意見がありました。
「分骨すると、生まれ変わった後に、その部分が弱い人として生まれる」と言われていたそうです。
「分骨すると成仏できない」と言っていた人もいました。
そもそも渡された遺骨は、全てのお骨が入っているわけではありません。
以前問題になった「残骨灰(ざんこっぱい)」の中には、お骨が残されています。「残骨灰リンク」
地域によっては、小さな骨壺を渡す地域があります。親御さんの骨壺を見て、小さいと思ったことがありましたが、これがその地では普通だと知りました。あとは残骨灰として自治体が施設に納めているのかもしれません。
都内の火葬場によっては、骨壺のお骨の量が違います。人口が多く、早く焼き上げないといけないため、強い火力で行うためと、残骨灰の量が多いのかもしれません。確証はありませんが。
土葬ならともかく、火葬では避けられないことなのです。
私は日頃お仏壇に手を合わせること、お墓参りを行うことの方が、遙かに大事だと思います。
また、浄土真宗などでは、分骨を御本山に納める地域もあります。
永代供養の方でしたが、お骨を姉弟三人で分けた方もいました。色々事情があるのでしょう。
それよりはお骨を身につけるペンダントの方が心配です。
レストランの洗面所に忘れてきた檀家さんがいました。出てきたから良かったのですが、それにこりて後日ご主人の骨壺に納めました。
私は常日頃、「故人は間違いなく、天国であるか、極楽浄土であるか、良いところにいってますよ」「たとえ宗教、宗旨が異なっても、同じ場所でご先祖様、友人達、御縁のある方々と仲良くしています」と話しています。
宗教、宗旨によっては、「自分たちだけが、天国・極楽に行ける」といっている人がいますが、お釈迦様の考えに反しているとお思います。
宗教、宗旨などに囚われず、色々な方を思いやる気持ちが一番大事です。
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