各地の神社仏閣を参拝致しました。
境内に必ずしも由来や縁起が書かれているわけではありません。
関東であれば新編武蔵野風土記が役立ちますが、ある大学の先生は、「新編武蔵野風土記」は、あまり信用してはいけないと学生達に言っているそうです。
しかし、少しは役に他立つのです。
それを行く前に、帰ってから調べるのも楽しみです。
しかし、「?」と思うことが多々在ります。
かなりの割合であるのが、廃仏毀釈の後に寺から神社となった所では、昔から神社であったと書いてある縁起をよく見ます。
酷い例ですが、ある武将関連の某神社では、その武将が神社を攻めて焼いてしまったと、マッタク異なる縁起が境内に記してあったことがありました。
事実は武将の支配する土地を乗っ取るために、朝廷に嘘の報告をし、多くの兵士を動員して自分たちの領地にしてしまったのです。
朝廷側の意向として、平気で歴史を改竄しています。
新編武蔵風土記稿を知らない方が多いのを幸いに、とてつもなく古い歴史を作り上げていることもあるのです。
ある寺院では、江戸末期の騒動で焼失してしまい、それを良いことに格式ある古い歴史の寺院であると、近年縁起を創造していました。
その寺の檀家さんで、郷土史家の方が教えてくれたのですが、その寺の縁起写しは、自宅の土蔵の中にしまわれてあるのだそうです。
たしかに新編武蔵風土記稿と、かなり異なった歴史となっていました。
ある寺院のホームページでは、新編武蔵野風土記稿や他の方のブログなどとマッタク異なる歴史を掲載してありました。
戦国時代武将の城の中にあった寺なのだそうです。
しかし調べると、広い敷地ですが急遽造られたことが分かっています。近くによく知られる城跡がありますので、戦時にその城と連携するときのみ機能していたのではないでしょうか。
その城も大勢力が来たために、城を明け渡して廃城となりました。守っていた武将も明らかではありません。
ですから、城の中に寺院を作る必要はないはずです。もし有力武将の寺であれば、後々にでも武将のための墓石が、境内に建立されていたはずです。
ある神社の宮司は、大陸から渡ってきた有力な王族の直系とホームページに書いてあります。
地元の郷土史家は知っていてても、よく知られる神社ですので、あまりおおっぴらに出来ないようです。
さて、当寺(円泉寺)の縁起ですが、やぶ蛇になりそうですので、書かないことにしてています。