千葉県立関宿城博物館
お墓参りのついでに関宿城博物館と幸手市の平将門関連のお寺などを見学してきました。今回も運転はAさんです。
圏央道が「境古河」まで開通しましたので、気軽に行けるようになりました。飯能市から菖蒲PAに寄っても一時間かかりませんでした。以前来たときは二時間以上かかっていました。
ちなみに行きも帰りも自衛隊の車両がいっぱい走っていました。PAでは若い隊員がたくさんいました。これからの大変な任務に頭が下がります。
実際のお城の姿ではありません。城跡もここの南方の少し離れた広い田んぼの部分だったようです。
博物館入り口
かなり広い敷地です。
内部は写真がだめでしたので詳しく説明できませんが、関宿城の歴史、関宿の水運、繁栄する様子、たびたび決壊する江戸川の被害と対策などが分かりやすく展示されています。
江戸まで利根川や江戸川をたくさんの舟がお米、醤油、みりん、紬など積んで行き交い、水運の要として、関宿が重要な役割を果たしていました。
以前ブログに書きましたが、河川決壊のたびにコレラなどが蔓延し、医療による対策以外にもいろいろな神仏に頼りました。
その中で知られていない摩多利神(またりじん)が野田市に何カ所か祀られています。 摩多利神ブログ リンク
敷地の南側には川を浚渫(しゅんせつ)した器機が展示されています。
駐車場南側
水路浚渫機
水路だけでなく陸上も走れます。
江戸川流頭部中之島公園
行きませんでしたが、対岸の茨城県五霞町にあり、博物館から橋で渡り約2分で行けます。
案内板 江戸川流頭部中之島公園リンク
橋を渡って2分
洪水を避けるため設置された「関宿水閘門」や日本一大きな「コブシの木」などがあり、散策に便利なように整備されているそうです。博物館の四階(天守)から遠望できます。
関宿城跡
下の図を見ると一部が土手や河川敷に含まれているのが分かります。
三の丸の角には牛さんがいました。
関宿城跡の公園
大政奉還後、お城は取り壊され、堤防工事と洪水とのためもあるのでしょう、遺構もほとんど残されていませんでした。次にあげる移築された建物だけのようです。
移築された建築物
本丸御殿
実相寺客殿 野田市関宿台町2140
明治4年(1871年)に本丸新御殿の一部を移築されました。
歴代家老職や久世家家臣の墓、終戦時の内閣総理大臣鈴木貫太郎の墓があります。実相寺は久世家歴代の藩主の菩提寺でしたたが、お墓は現在は本妙寺(東京都豊島区巣鴨5丁目35−6)に移されています。
牡丹や藤が、あと少しで見盛りです。
埋門
民家 野田市東 高野94
明治8年(1875年)に競争入札により小林家に移築されました。
誰でも外から見学が出来ます。
見学者用駐車場が門の西側にありますが、カーナビでは東側に示されることもありますので、西側に行くようにして下さい。
城門(薬医門)
逆井城公園 茨城県猿島郡猿島町逆井1262 リンク
明治8年競争入札で猿島町の鶴見家に移築され、後にここに移築されました。
復元された戦国時代の砦、移築された主殿や観音堂も見所です。広い敷地には土塁・空堀が残されており、良く整備されています。桜やツツジがたくさん植えられています。
逆井城公園
大手門
とんかつ合掌 栃木県下野市下石橋134-1
幕府の命により戦争資金徴達の為に武蔵鷲宮の資産家に売却し、解体して船で運ばれ移築されまし。
昭和53年に移築再建されました。
お店の隣にあり、良く整備されています。前はお店の駐車場にもなっています。
丁度昼時でしたが満席で順番待ちでした。
とんかつ合掌
幸手市は次回に致します。