以前、反平将門公側の寺院として、お参りいました。
将門公だけでく、反将門公の資料も集めるためです。妙見菩薩 平将門資料集
かつて反平将門公側の藤原秀郷守り本尊の毘沙門天像が祀られていました。明治の初めに火災で焼失したと書かれています。
以前は祈願の旗などは記憶にありません。江戸寺代に富くじを最初に発行した寺のようです。
お寺の周りは、早稲田大学の施設が数多くあります。
以前、取引のある業者さんが、当寺のホームページにある石材店紹介のページを見て、連絡があったことがあります。
宝泉院の墓地に、かなり凝った墓石を建立するために、当寺にいる石材店設計が気に入り、工事を依頼したいようでした。
しかし、さらににこだわった作りでしたので、石屋さんがお断りしたことがあります。あまりにも長い石材を使用する設計のため、墓域の高低差と、搬入のための通路の狭さ、墓地に面した道より搬入しても、一番奥の方の工事は不可能でした。さらにとても安い見積もりが提示されていたようです。
大隈講堂は歩いてすぐです。工事中でした。
早稲田大学図書館には、私が調べている妙見菩薩関連の太上玄霊北斗本命延生真経 1 帖があるそうです。