当山の妙見菩薩の由来を伝える文書は、当山檀家綿貫家に伝わる古文書のみであり、詳細は明らかではありません。
将門公が戦いに敗れ討ち死にすると、配下の武将であった綿貫家の先祖であ平豊八は、将門公の念持仏である妙見菩薩像を守護し、代々守り通したと伝えられています。
綿貫の名字は現在の群馬県高崎市綿貫より出たようです。
妙見菩薩像は今から180年ほど前に綿貫家より当山に移し祀りました。
それから約十年後の弘化五年(1845)に綿貫家六、七代前の分家で川越藩出入りの御用商人となった綿貫伊助が、、京の神祇官公文所の許可を得て、あらためて境内を高く盛り土し、お堂を建立して祀りました。
村民が総出で工事にあたったそうです。
しかし、私が入山した時は妙見菩薩像は祀られて無く、御幣のみでしたので、新たにお姿の御神紙を元に御尊像を彫っていただき祀りました。現在は二代目の御尊像となっています。
妙見堂
私が入山後、あまりにも妙見様のことを知らなかったためにいろいろ調べた資料をホームページに掲載したのが「妙見菩薩資料集」です。
今年の9月19日より、東京都「板橋区立郷土資料館」において『特別展 武蔵千葉氏』が開催されるに当たり、この古文書はありませんが、私の集めた資料の一部が展示される予定です。
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