最近手に入れた掛軸です。あまり良い状態ではありませんが、慈愛に満ちたお地蔵様が、亡くなった子供達を救おうする表情にひかれました。
賽の河原の言葉を知っていても、どのような場所であるか知らない人が多いと思います。
私は寺の住職ですが、若かりし頃は意識したことがありません。
やたらと水子供養の宣伝をした寺や占い師などが出没し、「水子の祟り」などと言って、一時期は水子供養を行う寺が増えました。
あまりもの状態に、日本仏教界や宗派などでは、水子供養の自粛や禁止をしました。
その宗派の御住職は宗派から「水子供養を止めないと、僧侶資格を剥奪する」と言われたと話していました。
ホームページには、派手な宣伝が書かれており、田舎寺を維持するためとは言え、やり過ぎと思っていました。自業自得です。
亡くなった水子や死産、幼い子供は賽の河原に行くと言われていました。
昔はここから他の六道に行くのではなく、生まれ変わるとされていたのです。
縄文時代の住居跡から、子供の骨が入った土器が出土します。
長野県では、小さな子供の骨を家の玄関に埋めることが、戦後の一時まで行われていた地区があるそうです。
みんなに踏まれることにより、今度こそ強い子で生まれ変わって欲しいとの願いからでした。
今では信じられないことだと思います。
鬼達は怒っているわけではありません。
ここに二度と来ないで、元気に生まれ変わって欲しいと、怖い顔で子供達を見守っているのだと思います。
中世では、子供は神とされていました。
賽の河原の考えは、本来仏教の中にはありません。
お地蔵様が子供達を助けて、良い所に生まれ変わるよう助けてくれるとの考えは、地蔵信仰と縄文からの考えが、賽の河原の考えに結びついたのだと思っています。
熊野観心十界曼荼羅の中の賽の河原
お墓などに正面を向いた、お地蔵様だけでなく、振り向いた石像を見かけることがあります。
救いもれた子供がいないか、周りを見渡している姿だと思います。
意味は違いますが、京都の永観堂「みかえり阿弥陀さま」を思い出します。永観堂ホームページlink
東松山市岩殿の見返り地蔵
賽の河原掛軸は他の寺にあったようです。寺院名が書かれていました。
今では住職がいなくなったり、廃寺となった寺が数多くあります。
ある骨董屋さんに聞くと、ここにある仏像や仏具は全て寺から出た物ですと話していました。どこの寺かは言いませんでしたが、意外や都内のお寺さんから出た仏像仏具がありました。
手に入れた仏像の中には、業者さんのヒントで三ヶ所どの寺か分かったことがあります。
お寺も数十年すると、廃寺になる寺が数十%にもなるようです。
厳しい時代がヒシヒシと来ています。