皇居の後に神田明神に団参です。当寺は平将門公に縁があり、お参りにまいりました。役員さんはほとんどが初めてでした。
神田明神の氏子さんは、成田山にはお参りしません。でも、寺の役員さんの中には私も含め、成田山にお参りしている人も何人かいるようです。
当寺は、成田山と同じ真言宗智山派に属しています。友人も成田山のお弟子さんが何人かいます。友人にご法事の助法を依頼したこともあります。いろいろなことでお付き合いがあるわけです。
しかし、檀家さんの中には、将門公の配下の武将だった家でありながら、成田山の御護摩札を頂いている人もいます。さすがこれには驚きました。
門
御本社
現在資料館で平新皇将門公御真影を展示中です。
詳細は、神田明神ホームページを参照して下さい。
今日は結婚式があり、お社の前で記念写真を撮っていました。何度かここにお参りに来ましたが、いつも平日でしたので、見たのは初めてです。
追記
こちらの氏子さんは、成田山に参拝に行かないそうです。平将門の調伏祈願をしたからだそうです。
そんなことを言うのなら、当時の有力な神社仏閣は、全て調伏祈願を命じられているのです。
伊勢神宮はもとより、他の所へも行かないのでしょうか。
このような説が出来たのは、明治以降のようです。
平将門を敵対視する東京に出てきたお公家さんや神社庁が、平将門を祀る神田明神に圧力をかけたことなどが、要因のようです。
くわしくは『高田嵩士著「鬼門の将軍 平将門」』をお読みください。