医王寺は円泉寺と同じ真言宗智山派に属しています。
越生町のホームページによると
「室町時代の応永19年(1412)、法恩寺第二世の曇秀を開山とする法恩寺の末寺です。寺に伝わる貴重な歴史資料として、天正18年(1590)、秀吉の小田原攻めの際、前田利家が軍勢の乱暴狼藉を禁じた禁制状が保存されています。また、薬師堂本尊、木造薬師如来坐像は越生に残る平安彫刻のひとつです。」
とあります。
法恩寺と同格の時代もあり、応永年間には十八ヶ寺の末寺がありました。
かなり大きな御本堂でした。
御本尊は平安末期から鎌倉時代の薬師如来とありましたが、下の画像の御堂が薬師堂のようです。
御堂の彫刻は、格式を誇る寺院らしく、見事な彫刻が施されていました。
鐘楼堂
ご住職夫人がおりましたので、虚空蔵尊のことを聞くと、「 祭礼の時は住職が儀式を執り行いますが、虚空蔵様は村持ちです」と話されました。
兼務寺とか医王寺持ちと書かれていることもありましたが、親切に教えていただき感謝しています。
医王寺 埼玉県入間郡越生町大字上野2043 地図