武蔵野七福神札所の山口観音金乗院です。
弘仁年間に弘法大師により開かれたと伝えられています。
金乗院の旧本寺は音羽の護持院(廃仏毀釈により廃寺)でした。 護持院ウィキペディアlink
総本山は長谷寺ですが、護持院が廃仏毀釈となって護国寺により吸収されてより、本末関係のある寺院が無くなり特殊な位置にあるそうです。
埼玉県で他に護持院末寺は、他に多門院の二ヶ寺だけでした。
布袋様を祀るのは、鮮やかな色彩の七福神堂です。
たしか台湾から資材を取り寄せ、向こうの職人が建設したように記憶しています。
かなり以前来たときは、派手派手でいやでしたが、今では落ち着きのある装いをしています。
中国から招来された布袋様です。
御本堂の裏には、数多くの地蔵菩薩が祀られています。
お子さんを亡くされた方々の供養の場所となっています。
この日も二組の御夫婦が、花とお線香を持って参拝していました。
さらに上に登ると五重塔があります。
左右には西国三十三観音札所の観音様を祀る仏国窟入口がありました。
明るい洞窟ですから、どなたも安心して参拝が出来ます。
閻魔堂もありました。
゜
新田義貞が戦勝を祈願し、後に愛馬がここで余生を送ったことに因み、白馬が祀られています。
いろいろな御堂がありますので、余裕を持って参拝して下さい。
私はデジカメの電池がなくなり、途中から撮影を諦めました。
情けないことです。
※江戸時代の護持院
江戸時代に今はない護持院が、護国寺の東側にあったことが分かると思います。
真言宗豊山派 山口観音 埼玉県所沢市上山口2203 地図