時折抜け道で通るのですが、お参りしたのは初めてです。
社記に承久3(1221)年、信濃国諏訪頼重家臣の春日刑部正幸が、兜の八幡座を祀ったと記されているようです。
かつては諏訪社でしたが、廃仏毀釈後に地区内の12社を合祀し、霞野神社と名を改めました。
祭神は建御名方命です。
ここは女影原古戦場でした。
建武2(1335)年の北条時行軍と足利直義軍、観応3年の南北朝両軍の合戦などです。
この前の道は鎌倉街道上道で、有力武将はここを通っていました。
数多くの武将が戦死しています。
何も知らない人の話しに、甲冑を着た疲れ切った武士が、道に佇んでいたのを見たことがあると話していました。
信じられない話しです。
さらに現在の所沢市の小手指原古戦場に続いています。
氏子は女影で約300戸あります。
新編武蔵野風土記に女影とは、往古に千丈ヶ池に身を投げた女の影が池に現れたことにより、これを女影と呼んだのが村名の起こりだと書かれています。
霞野神社 埼玉県日高市女影444 地図link