本日は友人の所へ届け物があり、あせて長慶寺も含め数ヶ所の寺社を巡りました。
御本尊は不動明王をお祀りしています。
カーナビですと墓地近くに案内されました。
綿打中学校とは南北の通りを隔てて、東側になります。駐車場を目指すと良いでしょう。
長慶天皇ゆかりの寺、千利休先祖菩提寺と看板にありました。
由来記には、
「茶聖千利休の由緒書によると、千家はもと田中姓を名乗り、新田義重の男・里見太郎義俊の五男・田中五郎義清の末孫なりと伝えられている。」
長慶寺は芳清の館跡なのだそうです。
「長慶寺の名の由来は、南朝三代・長慶天皇を新田一族が報じて戦ったため、長慶寺はその伝承の御陵塚を祭る祭主なる以って、放光(宝)寺を長慶寺と改号せりと、伝えられている。」
とあります。
太田市は新田義貞配下の武将が数多くいますが、義貞敗戦の後の歴史は定かではありません。
義貞に殉じた武将が多くいました。
御本堂前には石像の仁王様が守っています。
二十二夜塔がありました。女人講の建立です。
法印宥祥墓石の右隣宝篋印塔は、長慶天皇陵墓、左は田中五郎義清の墓と伝えられています。
南北朝時代に長慶天皇が、新田一族を頼り来られ、得阿弥と云う名に改名して長慶寺に住んだと伝えられており、その後の消息は不明となっているそうです。
長慶天皇には、各地に多くの伝承が残されているようです。長慶天皇ウィキペディアlink
千利休先祖に関しては、記録に残されていますが、やはり不明なことが多いようです。千利休ウィキペディアlink
※以前ですが、近くの世良田東照宮、長楽寺、生品神社、反町薬師、常楽寺(あじさい寺)、七母女天宮などにも参拝しています。
長慶寺 群馬県太田市新田上田中町154 地図link