本門寺
日蓮宗の大本山・池上本門寺に参拝致しました。日蓮聖人入滅の地として、特に重要な寺院です。
弘安5年(1282)に61歳で亡くなられました。御遺言により御遺骨は身延山にへ納められています。
本門寺の地は池上宗仲が約7万坪地を寄進しています。
日蓮聖人が61歳で入滅(亡くなられた)された地である本行寺です。本門寺境内西側にあります。
照栄院・理鏡院と共に池上三院家となっている大事な寺院です。大坊と呼ばれています。
以上二枚の写真は平成19年(2007)に参拝した折です。
以下の写真は平成17年(2005)に参拝した折です。
池上駅から600メートルほどだと思います。
総門から長い階段が続きます。
加藤清正が慶長年間(1596~1615)に寄進しています。96段あります。
テレビ番組・鬼平犯科帳「本門寺暮雪」文春文庫9巻の場面を読み直していると、池上本門寺のブログが気になりました。
この階段の場面です。
うっかり本門寺は書いていないことが分かり、新たに書くことに致しました。
残念ながら見つからない写真が数多くあります。
総門
参拝した折には、御本堂の耐震工事をしていました。
五重塔は徳川二代将軍秀忠の乳母である岡部局の発願により、慶長13年(1608)に完成しています。
本門寺 東京都大田区池上1丁目1−1 地図link
照栄院
池上三院として、本門寺の塔頭の中では重要な寺院です。
江戸時代は日蓮宗の僧侶を養成する南谷檀林立善講寺とも呼ばれていたようです。
かなり広い境内で、妙見堂も照栄院持ちでした。
照栄院妙見堂
照栄院の西脇の道路を北に向かうと、妙見堂に至ります。
照栄院は檀林でもあったことからか、本門寺でもかなり広い境内をしめています。
妙見菩薩は寛文四年(1664)に、加藤清正公の息女、瑶林院殿が夫君で徳川家康の子・紀伊国太守亜相源頼宣卿の現世安穏後生善処のために、造像されました。
本門寺へ納められましたが、檀林が開設されたさいに、照栄院に移管されています。
江戸時代に日蓮宗の飯高檀林(現在の匝瑳市)では、修行僧にとって「試験の神様」とされました。。日蓮宗に妙見信仰が広がった要因の一つと思います。
おそらく照栄院も同じような信仰があったのではないでしょうか。
理鏡院
この寺の門柱には、日蓮聖人草庵跡とありました。
本行寺・照栄院と共に池上三院家となっています。
理鏡院 東京都大田区池上1丁目34−3 地図
厳定院
厳定院(ごんじょういん)は池上本門寺の子院です。正応2年(1289)厳定院日尊が開創しました。本門寺からは歩いてすぐの場所にあります。
御本堂には能勢形妙見菩薩が祀られています。本尊は大曼荼羅・塔両尊四士です。
厳定院 東京都大田区池上2丁目10−12 地図
法養寺
法養寺は天正15年(1587)頃に神田三河町に開創されました。慶長年間(1596~1615)に下谷稲荷町に移転致しています。
明治43年(1910)、当地にあった妙教庵と合併し、翌年この地に移りました。
本尊は大曼荼羅・塔両尊四士です。子安妙見菩薩も祀られています。
法養寺 東京都大田区池上1-19-25 地図
日蓮聖人涅槃図
以前求めた日蓮聖人涅槃図です。
江戸時代の掛軸ですが、池上館で亡くなられた日蓮聖人を涅槃図に見立てて作られています。
池上宗仲の27代の子孫・池上太三郎が施主となり、貞秀(歌川貞秀か?)に依頼し描かれ、嘉永5年(1852)に開板したと書かれています。
あくまでも参考として掲載致しました。
現在は高校の先輩が住職をする日蓮宗寺院に納められています。