円満寺
智山派の寺院ではありますが、住職が住んでいませんので、期待せずに参拝致しました。
しかし、以前訪れた平井城址にあった山内上杉氏関連の寺であることを看板を読んで始めて知りました。
これらのことを知らない方が多いと思います。
行人塚では関東管領上杉憲実の墓碑が発見されています。
ここは上杉氏累代の墓です。
他の寺院と比べても立派な山門でした。
檀家さんが少ないので、維持管理も大変なことと思います。
二体の弘法大師像
何度か焼けていますので、山門と比べると御本堂は小さめでした。
御本尊など、詳細は分かりません。
行人塚の菩提樹には、小さな実がなっていました。
円満寺 群馬県藤岡市東平井1070 地図link
※円満寺は次ぎに行く観音寺御住職が実質兼務しています。
平井城址
平井城址から東を望むと、かなりの高低差があるのがわかります。
ただの城ではなく、町としても機能していました。
鎌倉と同じように文人墨客が訪れていたことが、記録に残されています。
⑧室町時代前期の永享十年(1438) 関東管領上杉憲実が平井へ退去のおり、鎌倉の極楽寺を平井に円満寺として再建したといわれている。平井城落城の時に焼失し、その後現在地に再建される。なお、憲房公の墓碑などがある。
ここには2003年5月に訪れました。今は良く整備されているようです。
平井城址 群馬県藤岡市平井 地図link