原市場に曹洞宗西光寺という寺がありました。廃仏毀釈のため明治に廃寺となり、檀家は神葬祭になりました。
一件だけが、また仏式に戻っています。
墓石垣の途切れた右側に阿弥陀如来を御本尊とした御本堂がありました。
- 新編武蔵野風土記に「西光寺 無量山と號す、禅宗曹洞派、郡内下直竹村長光寺末、本尊彌陀を安ず、慶安二年(1649)阿彌陀免二石の御朱印を賜ふ、古開山獨堂長禄元年(1457)二月廿日寂す、中興開山寶室正保元年正月三日寂す、境内に承久二年・弘長九年・正和元年・正和四年の古碑あり、以上皆長五尺に幅一尺三寸五分なり」とあります。
青石塔婆は石垣右側上段にある歴代住職の墓があり、その左隣にあったそうです。
阿弥陀三尊の梵字が彫られた市指定文化財・青石塔婆(板碑)が並んでいます。
この位置に阿弥陀如来を祀る小さな堂がありましたが、取り壊して青石塔婆を移しました。
阿弥陀三尊と地蔵菩薩は、他の寺に預かっていただいているそうです。
六地蔵は墓に登る向かって左側から現在地に移されました。
弘長元年(1261) 正元二年(1260)
正和四年(1315) 正和元年(1312)
この大石の通りが、本堂につながる南北の参道でした。
石は橋として置かれています。
元境内の右側に五社神社、自治会館(社務所)があります。
五社神社は秋葉、愛宕、稲荷、日吉、三島の五つの神社が集められています。