天武天皇の2年(673)と役小角の伝承がありますので、かなり古くからある寺院であることは間違いありません。
坂東札所として多くの方がお参りに見えていますが、檀家をあまり持たない寺院ですから、維持管理も大変と思います。
坂道を登らず、急階段を登るのは大変なのです。
私が来たとき、先に来ていた参拝団は観音堂には行かず、そのまま本堂に向かい納経のようです。
数十年ぶりの参拝ですが、少しずつ記憶がよみがえってきました。
毎年4月第二日曜と4月17日に御本尊千手観音さまの御開帳が行われるです。
すぐ気がつくのが、天井から吊り下げられた、左甚五郎作と伝えられる「夜荒らしの名馬」です。
この木馬が畑を荒らしたために、天井に納められたとの伝承が残っています。
御本堂に上がり、参拝させていただきました。また、ご住職に宝物殿見学のお願いを致しました。
僧侶の像があると思ったら、僧形文殊菩薩像でした。
その他、徳川家康画像、天海僧正画像などが納められています。特に正面の大きな木像は、この寺の歴史を感じさせられます。
釈迦堂跡
私が初めて持光寺を訪れたときは、まだ釈迦堂は残されていました。
次に家内とお参りしたときは、残念ながら焼けた後です。
道路の脇には、歴代住職の石塔と板碑が並んでいました。
右の胎蔵界大日如来さま以外は、阿弥陀如来さまがほとんどだったと思います。
板碑の説明板にあった、江戸時代の絵図です。
墓地の奥には、たくさんの石塔がありました。
廃仏毀釈の嵐は、大事な御堂や仏様、貴重な資料もたたき壊されてしまいました。
イスラムの仏教遺跡などを破壊したことに似た蛮行だったと思います。
ここの前に行った弁財天石仏と霊山院ブログです。