長楽寺と天海 群馬県太田市

私の卒業した大学は三宗四派の仏教系大学です。
他宗派との付き合いも自然と出来てきます。
天台宗の学生の言葉に「世良田の長楽寺」が、良く出てきました。
 
高校までの日本史では、まったく出てきませんが、天台宗では大事ないわれのお寺です。
 
桜が咲いて花粉症さえなければ、一番気持ちの良い季節です。
 

本堂前にお参りする人は多いのですが、東側の三仏堂の勅使門を見学し、参道よりお参りするのが、一番のお勧めです。

 

三仏堂

 

太鼓門

 
御本堂前では保育園・世良田の杜の園児が、花祭り(お釈迦様お誕生の祭り)で甘茶を順番に掛けています。
かわいいですね。

 

徳川義季(よしすえ)公累代の墓

 

長楽寺は徳川家の祖・世良田義季(得川義季 とくがわよしすえ)の開山と伝えられ、臨済宗の大寺でした。
しかし本当に徳川の祖であるかは分かりません。
 
日本において武士が幕府を開くのは、源氏か平家と言われていた時代です。
得川を徳川と無理矢理結びつけ、新田氏の末裔としたと現在では考えられているようです。
 
江戸時代になり、天海が入寺し、天台宗となりました。
700ヶ寺を末寺に持つ大寺院となったわけです。
この時代には天海に取り入り、天台宗に衣替えした寺院も沢山ありました。
 
天海は川越市の喜多院、日光山などの住職となり、上野の寛永寺を創建しました。
天海は徳川家康にとって、大事な参謀でした。
徳川幕府の盤石な地番を支え、末代に平和な時代を創造するために尽力したのだと思います。
 
私は宗教においては密教の曼荼羅観が、根底にあったのではないかと勝手に思っています。
 

金剛界曼荼羅

 

胎蔵界曼荼羅

 

仏教、神道、キリスト教など、我々の神が、仏が、宗祖が一番である。
他は一切認めない。たとえ幕府でも我々の宗教以外は受け入れるな。
 
そのような宗教観であったら、いつまで経っても幕府にたてつく人たちが続出したでしょう。我々の神のために、仏のために。
 
曼荼羅では、あらゆる神仏、描かれていない他の神仏、宗祖が曼荼羅の中に調和しながら活動しているのです。
 
 
あくまでも徳川の統制の中に許される範囲で、各宗旨宗派を認めてきたわけです。
しかし、あくまでもそれに反発する人たちが数多くいました。
 
たとえば日蓮宗不受布施派などは、日蓮宗以外を認めず、他の宗旨の人からは、施しを受けない立場でした。
 
天海だけの考えではなかったのですが、若き日の家康にとって、一向宗徒との領地を二分する争いから、宗教の恐ろしさを強く認識していたのだと思います。
 
 
私も子供の頃、ある新興宗教の方から、「天皇陛下は将来、うちの会の信者になる。国の宗教になるんだ。今のうちに、うちの会の信者になれ。」と言われ、驚いたことがあります。
いまでも、そのような国家にしたいと思っている信者さんが沢山いるのでしょう。
上があ~言えば、自分たちもあ~言うです。
全く変わっていません。
 
強引と思われる施策だったのかもしれませんが、明治以降の廃仏毀釈が、どのような流れを作ったのか。
一つの宗教でさえ分裂し、争い合う現代です。
自分たちの死がもととなり、後々の我々だけの天国となる。それが唯一で、他は認めないなどとしたら、国家は不安定になるだけでなく、多くの屍だけの世界になると思います。
 
私たちは宗旨宗派に囚われず、善(よ)き人であることが、良き社会を作るのだと思います。
 

 

ページ上部へ