何とも変な題で、申し訳ありません。
別々に取り上げても良いのですが、時代の変遷を感じています。
先日、ある女性とショートメールで連絡を取っていると、会話の流れで会社に下駄で出勤したと書いてありました。
「洋服 下駄」と検索すると、たくさんの洒落たサンダルのような下駄の画像が出てきました。
滑らないよう、音がしないようにゴムを張ったのもあります。
私の下駄は、もう十年は使用していません。
メールを読み浮かんだのは、このような下駄だけでした。
彼女の会社はIT企業ですので、比較的服装が自由なのでしょう。
その会社だけでなく、他の会社の方々も下駄で行く方がいるのでしょうか。
おそらく普段の日のカジュアルな装いだと思います。
会社で着替えたのかもしれません。
一般の企業でしたら、きっと怒られるでしょうね。
近々都内に行こうと思っていますので、若者の足下を見てみたいと思っています。
池袋近辺では、いないかもしれません。
話が変わります。昔を思い出しました。
私が総本山智積院にいた昭和50年までは下駄でしたが、途中金堂が出来てから草履になりました。
建物の至る所で、磨いた大理石を使用したため、滑る人が続出したためだったと思います。
私も危なく滑りそうになった事がありました。
特に雨の日は危険です。
江戸時代の智積院は、仏教総合大学のような寺でした。
一番多いときは、2000人の僧侶がいたそうです。
場所は東山七条ですが、朝には五条まで下駄の音が聞こえたと伝えられています。
一般の人は、中には入れなかったようです。
昭和2年の某お寺のお弟子さん達(関連寺院のご住職)です。20年ほど前にお借りして、カメラで複写しました。スキャナーでもコピーしたのがあると思います。
智積院末寺の成田山、高尾山は、今でも御護摩の時は下駄だったと思います。
儀式によっては、分けているかもしれません。
他の真言宗でも、大きな寺院での儀式は下駄を多く見ます。
しかし、今では他宗旨も一般の寺院では、草履しか見たことはありません。
ホールで行われる通夜葬儀では、当然草履となります。
道路に砂利が撒かれ、その後アスファルト舗装となりました。
さらに車に乗っています。下駄で運転するわけにはいきません。
真言宗智山派 総本山智積院
追記
このブログを見た、メールの女性からメッセージが届きました。
会社では平服でよく、営業の人とお客さまの所へ伺うときだけスーツだそうです。
他の人は、ズッと以前ですが、中村雅俊の下駄姿にあこがれたと言っていました。