約40年前、若手の僧侶に智積院化主・那須政隆猊下のお話がありました。
ほとんど覚えていないのですが、右人差し指で示しながら、
「仏の国はどこにあるのか。そこにある。そこにある。そこにある。」と右、真ん中、左と向けました。
その時、弘法大師の声字実相義に書かれた言葉「五大に皆響きあり、十界に言語を具す。六塵悉く文字なり。法身はこれ実相なり」(ごだいにみなひびきあり、じゅっかいにげんごをくす、ろくじんことごとくもんじなり、ほっしんはこれじっそうなり)を思い浮かべました。
簡単すぎるかと思いますが、仏様はあらゆる世界にいますよと言う意味になります。
それ仏法遥かに非ず 心中にして即ち近し 真如外に非ず 身を棄てていずくにか求めん (般若心経秘鍵)
真ん中を指したときは、私たち向けてでした。あなたたちも仏ですよと言われたのでしょう。
また、声字実相義には、仏の中にあらゆる世界があり、私たちの一毛の中にも仏の世界があることを教えています。
猊下は真言宗の教えを分かりやすく話され、人として恥じないよう、真言宗僧侶として精進しなさいと話されたのです。
それでも一般の方は、意味が分からないかもしれません。
死を間近に迎えた人やその親族にっては、来世に良い所(ごくらく、浄土、天国など)へ行けるのかが心配な方もいます。
私は、来世があると思い込むことにしています。行く手前で帰ってきた私には、まだ確信を持って言えないのです。
檀家さんに対して「天国であるか浄土であるか、間違いなく良い世界に行きます。」「きっとご主人、友人、両親、皆同じ世界にいるのです。」とお話ししています。
以前も書きましたが、
お釈迦様にあるおばあさんが問われました。
「お釈迦様、私は天国に行けますか。」
お釈迦様は、
「あなたは天国に行けますよ。」
と説かれています。
人によりその人に合わせて優しい言葉、思いやりを持って話されているのです。
宗教・宗旨に関わりなく、信仰の深さだけが、成仏や天国に行く条件と思っている人もいますが、それは差別につながりかねません。
「和を以て貴しとなす」
人として、善(よ)き人出あることが、一番大事なことです。
那須政隆猊下の書
地獄は何れの処にか在る いずれかの自心の中に観ん (秘密曼荼羅十住心論)