今から15年ほど前、私が妙見菩薩を調べ始めた頃に、ここにお参りに来ています。
以前はこのあたりに来る機会が多く、ここに妙見さまが祀られているとは思いませんでした。
アチコチの社を合祀してきたからでしょう。
桓武平家系の江戸氏などの関連かもしれません。
この地区は武蔵国高麗郡の東に位置します。
高麗郡に移り住んだ有力な渡来系の人々は、後々さらにこの入間川や坂戸の越辺川沿いの肥沃な土地を開墾し耕すため、移り住んだのではないかと思います。
実際、坂戸市には先祖は高麗系と言っていた、高校の同級生がいました。
高麗王の直系の方も坂戸に在住しています。
ここは現在の日高市から川越に抜ける大切な通りに面していました。
埼玉県道15号線が出来てからは、裏道のようになっていますが、大事な神社で会ったと思われます。
一番西側の鳥居から行けば良いのですが、駐車場の鳥居からお参りです。
御本社の北側には、アチコチから合祀されたと思われる社があります。
妙見社は左から二番目です。
祖霊社は、明治以降に神葬祭となった氏子さんのために建てられたのではないかと思います。
ここの杜や近くのお墓は、神葬祭であることが分かります。
この通りが、高麗郷から川越に抜ける高麗街道で、大事な道でした。
かつては狭い道だった記憶があります。