二宮神社に参拝したのは、三度目となります。
平将門公を調べる過程で、反将門公側として調べに来ました。
天慶の乱のおり、藤原秀郷の祈願した神社として、伝えられています。
秀郷が本当に来たのかは、明らかでありませんが、各地に伝承が残っています。
この神社は古い歴史があり、武蔵国の二宮でした。
大石氏の城館だったようです。見た限りでは土塁と思われるような遺跡はないようでした。
9月9日の大祭が行われるための準備でしょう。
表の通りも、交通規制があるようです。
ここの前にお参りした養澤神社は、アラハバキ神社が合祀されていましたが、ここでは荒波々伎(アラハバキ)神社が、祀られています。
東日流三郡史(つがるそとさんぐんし)は、偽書と言われていますが、内容はとても面白く、つい読み進めてしまう内容でした。
今でも、遮光器土偶やアラハバキの文字を見ると、東日流三郡史を思い出します。
神社をお参りする前に、二宮考古館を見学致しました。
この辺りの縄文土器や、石器などが展示されています。
一番見たいのが、薬師如来の懸仏です。廃仏毀釈で捨てられたご尊像でしょう。
二宮神社の裏から発掘されました。
室町時代と言われる小さなご尊像ですが、まだ金色に光っていました。
神仏混淆が行われていた、数少ない証拠です。
ここにあった梵鐘が、売られたらしく、所沢市の神社に存在しているそうです。
道路を挟んで東側には、神社の池があります。
澄み切った水が、絶え間なく流れています。
ゆっくりしていたい場所ですが、用が出来て帰らざるを得ませんでした。