日本で最初に帝王切開が行われたのが、現在の飯能市、それもかなりの山中になります。
852(嘉永5)年に 秩父郡我野正丸で行われました。
子供が体内で亡くなっていたため、母親の本橋とめの母胎を守るための手術でした。
翻訳本を頼りに麻酔なしで行ったのですから驚きです。
その後母親は88歳の長寿を全うしました。
翻訳本を頼りに麻酔なしで行ったのですから驚きです。
その後母親は88歳の長寿を全うしました。
手術を行ったのは、伊古田純道(現秩父市)と岡部均平(現飯能市南川)の二人です。
この碑は本橋家の敷地に昭和62年(1987)年6月12日に日本医史学会、日本産科婦人科学会、埼玉県医師会によって建立されました。
場所は国道299号の正丸トンネルに入る手前にあります。
「本邦帝王切開術発祥之地記念碑」埼玉県飯能市坂元 地図
※今は飯能市になっていますが、かつて飯能市の西部は秩父郡でした。
バスを秩父から来られるよう誘致するには、正丸峠がネックになっていました。
その当時は、郡ごとの認可です。
仕方なく入間群に編入し、飯能からバスが来るようになりました。
戦後でも秩父の思いが強く、秩父の親戚に居候をして秩父高校に通っていた人がいたそうです。
今でも秩父に親戚が多いと話していた人がいます。
岡部姓は飯能でも元秩父郡に多く、岡部六弥太忠澄の子孫と伝えられています。