関宿城より明治初年に移築された建物を確認しに、坂東市の逆井城に行ってきました。
戦国時代に逆井城は、小田原の北条氏、佐竹氏、結城氏、多賀谷氏の領国の狭間にありました。
北条氏が城主となり、天正5年(1577)に逆井城を新たに築城しましたが、天正18年(1590年)、豊臣秀吉による後北条氏の没落後に廃城となりました。
運転手をお願いしたAさんは、戦国武将の名前をすらすらと言うので聞いてみると、「歴史が好きだったのと、ゲームですよ。あと横山光輝の漫画ですね。」と言ってました。年代の違いを感じました。
現在の逆井城公園は戦国末期の建築群を再現し、面積は東京ドームの約2、7倍だそうです。
二層櫓


二層櫓の二階部分
二層櫓からの眺めです。
当時の土塁・堀の一部が、現在まで保存されています。

樹木はなく、さらに急斜面の上、水に満たされていたようです。

今日目的の関宿城から移築された城門(薬医門)です。関宿城は明治初年に廃城になりました。明治8年競争入札で猿島町の鶴見家に移築され、後にここに移築されました。 関宿城関連ブログ
中は主殿が再現されています。
坂東市の大安寺から公園に移築された観音堂です。天正16年に上棟されたことが棟札に残されています。
中には食事処「智姫」では、蕎麦やうどんが食べられるようです。かなり美味しいそうですが、昼には早すぎて次の場所に向かいました。
二層櫓から見た「智姫」
休日は毎週月曜日・その他臨時休業が有ります。