国津神神社
廃仏毀釈によって日本全国の修験は廃止され、神社にしたり帰農した行者が多くいました。後に復活したのは、ごくわずかです。今でも復活することを考えている僧侶や神職もいます。
越生に山本坊を起こした本山派修験の別当・栄円の末裔が、後に西戸に移り熊野社を勧請しました。慶安2年(1649)には寺領47石あったそうです。
武蔵国の入間群・秩父郡・比企郡と常陸・越後の一部をの霞を支配したです。48ヶ寺の末寺がありました。
大正4年に熊野社から国津神神社と改めました。
国津神神社 毛呂山町西戸916
山本坊二十五世・徳栄法印が建立した芭蕉の句碑 「山さとは 万歳をそし うめの花」
山本坊墓
埼玉県毛呂山町西戸 地図
国津神神社の前を北向かい、突き当たりを左に折れます。
また突き当たりますので、今度は右折です。
右折後に階段のある場所の手前を右に折れて、約20メートルで歴代の墓に至ります。
山本坊は平将門の子孫と伝えられ、相馬の姓を名乗っていました。家紋も九曜星です。
以前、友人が山本坊は絶えてしまうと話していました。絶えてしまったのかも知れません。
お墓参りに来られているようには思えませんでした。