平安後期から鎌倉初期に大串次郎重親が創建したと伝えられ、開創時は七堂伽藍の備わった大寺であったと伝えられています。
天文年間に兵火により焼かれてしまいました。後に毘沙門堂だけが再建されています。
毎年、2月13日に祭礼があり、多くの方がお参りに来られます。だるま市と知られているそうです。
宝篋印塔が二基あり、大串次郎重親の墓と伝えられる宝篋印塔は50メートルほど離れた場所にあります。
まずは応安6(1373)年の宝篋印塔です。
宝篋印塔の脇には小さな板碑が集められています。
参道の中門は仁王様が祀られていました。
今でこそ住職の住まない小さな寺ですが、古は歴史のある大寺であったことが、残された建物・宝篋印塔や近在の小字によって知る事ができます。
御堂から約50メートル離れた場所に大串次郎重親の墓と伝えられる宝篋印塔があります。
平成11年に行われた工事の時、宝篋印塔の下から壺が二つ出土しました。
中には男性と思われるお骨が納められていました。
壺は吉見町埋蔵文化センターで保管され、お骨は別の容器に収められ、宝篋印塔の下に納められています。
宝篋印塔が建立された年号と、大串次郎重親の亡くなった年は、約150年の開きがありますが、宝篋印塔建立後に納めた可能性もあるようです。
金蔵院毘沙門堂は宗旨が違いますが、近くの真言宗智山派観音寺が管理しています。
次に観音寺に向かいました。
2023/12/23
近くに大串次郎館跡がありました。
右側市野川河川敷の雑木林中です。地図link
毘沙門堂 埼玉県比企郡吉見町大串2244 地図