楠木正成と菊水の紋
正成は後醍醐天皇から菊の紋を下賜されましたが、恐れ多いと菊水紋使用しました。
後醍醐天皇に最後まで忠誠を尽くしましたが、建武3年5月25日(1336年7月4日)湊川の戦いにおいて戦死しました。
菊水の紋
作者の印が押されていますが、マッタク読めません。
桜井の別れ
斉藤弓弦作の「桜井の別れ」です。
太平記にある有名な話しです。足利尊氏との決戦前、桜井の駅にて楠木正成(まさしげ)と息子の正行(まさつら)の別れが描かれています。
別れの後、正成は足利尊氏軍と湊川で戦い戦死しました。勝算のない覚悟の戦いでした。楠木正成 wikipedia リンク 楠木正行 wikipediaリンク
戦前であれば、国語や修身の本には、必ず掲載されていたそうです。
私は戦後の生まれでしたが、「月刊歴史読本」を時折購読していましたので、少しは知っていました。桜井の別れ ウィキペディア リンク
今から45年程前に京都から大阪の寺院詣でに向かう途中、「桜井の駅跡」の案内板がありました。桜井の駅ウィキペディア リンク
桜井の駅ですから、てっきり奈良県の桜井にあると思っていたのが、恥ずかしく思い出されます。
その時、寄らずに行ってしまったのが、今では残念でしかありません。
桜井の駅跡 大阪府三島郡島本町桜井1丁目3 地図
斉藤弓弦の作品は、上品な顔立ちの人物像が多く見られます。
厳しい戦いを迎える前に、正行に対する深い愛情を感じさせます。
この作品は、マッタク同じ掛軸が複数ネットで散見出来ますが印刷ではありません。
作者の斉藤弓弦は、宮城県で明治14年生まれ、本名は亀治。小堀鞆音門下となりました。得意画は人物です。
東京淀橋区に住みました。文展・帝展で活躍し、戦後は郷里の丸森町に帰り、創作に励んだそうです。
昭和49年に94才で亡くなられました。
※現在この絵は、手元にありません。
皇居の楠木正成像
皇居外苑の楠公レストハウス、観光バス駐車場近くにあります。