当寺は真言宗智山派ですが、他の智山派寺院にも何カ所か草繋全弘師の書を見たことがあります。
草繋全弘師は高野山真言宗の宗務総長でした。
この「福寿海」の書は、観音経の「福聚海無量」から出ています。 聚を寿に変えて書かれることが多くあります。
福徳の集まることが海のように広大であるということ。観世音菩薩の恵みが広大であることをたたえた語(三省堂 大辞林)
草繋全弘師は厳しい方でしたが人徳があり、多くの方に慕われたと聞いています。昭和44年に63歳で無くなられました。
当寺は真言宗智山派ですが、他の智山派寺院にも何カ所か草繋全弘師の書を見たことがあります。
草繋全弘師は高野山真言宗の宗務総長でした。
この「福寿海」の書は、観音経の「福聚海無量」から出ています。 聚を寿に変えて書かれることが多くあります。
福徳の集まることが海のように広大であるということ。観世音菩薩の恵みが広大であることをたたえた語(三省堂 大辞林)
草繋全弘師は厳しい方でしたが人徳があり、多くの方に慕われたと聞いています。昭和44年に63歳で無くなられました。