集福寺は圓明國師(永仁6年1298年寂)によって開かれましたが、当時は臨済宗でした。
永正年中(1504から1521年)に曹洞宗になりました。
江戸期には御朱印20石あり、地域を代表する曹洞宗寺院でした。
正面の総門は閉じられていましたが、東側の門より参拝致しました。
かなり広い寺域があるだけでなく、多くの伽藍があります。
こちらが山門のようです。
山門と下の御堂の回廊間より法堂(ほっとう)に至るようになっていました。
法堂には釈迦牟尼仏や十六羅漢が祀られています。
鐘楼堂
回廊まである寺院は関東では珍しく、格式ある寺院であることがうかがえます。
お墓には吉田市右衛門一族の墓があります。
吉田家は荒川の洪水や飢饉の被災者に、育児費や物資を援助しました。
中でも天保の大飢饉には、大麦数百俵を援助し、幕府に1万両を献上しています。
大正9年(1918)二は、正五位を追走されています。
巣鴨のとげ抜き地蔵・高岩寺の本寺であるとは思いも寄りませんでした。ブログlink
※追記 建造物群が7月に熊谷市文化財になりました。
集福寺 埼玉県熊谷市下奈良551 地図link