青蓮寺には倶利伽羅不動明王石仏と小代重俊板碑(板石塔婆)があります。
新編武蔵野風土記によれば、春慶(宝永2年1705年寂)が中興しました。
カーナビでは寺の南側に案内されましたが、北側から駐車場に入ることになります。
正代地区は越辺川と都幾川が近くを流れており、青蓮寺のある場所は少し高い台地上にあります。
県の重要文化財である小代重俊供養塔(板碑 青石塔婆)があります。
武蔵七党の内、児玉党に属した入西遠弘が、小代地区を治めました。
この板碑は4代重俊の人徳を慕い、また先祖のために建立されています。
板碑は弘安4(1281)年に建立です。
この年は蒙古襲来のために武運長久と団結を願う意味が込められています。
重俊の子・重泰は肥後国玉名郡野原荘に下向しました。
小代氏は南北朝時代、菊池氏から大友氏配下となり、肥後屈指の有力国人となっています。
大友氏衰微後には龍造寺氏に付きました。
さらに島津氏に従っています。
天正13(1585)年の九州征伐では、豊臣秀吉に従い領地を安堵されました。
後に加藤清正に仕官し、4135石の重臣となりました。
加藤家改易後、細川家に仕えました。
小代氏の菩提寺は、荒尾市の浄業寺です。
熊本県指定史跡・浄業寺古塔碑群には弘安4(1281)年から寛永10(1633)年までの住職と小代氏の墓石が確認されているようです。
寺の門前にある倶利伽羅不動明王石仏です。
県内では飯能市上直竹の富士浅間神社以来です。富士浅間神社ブログlink
倶利伽羅不動明王の前には、高坂七清水の内・青蓮寺下の清水があります。
東松山市では、この清水と小代氏板碑を歩いて巡るコースになっているそうです。
青蓮寺 埼玉県東松山市正代864-1 地図link