関東三不動とは成田山新勝寺と高幡不動金剛寺は確定なのですが、三番目に髙山不動・不動ヶ岡不動尊總願寺・雨降山大山寺が入ります。
全て真言宗です。
しかし天台宗の目黒不動瀧泉寺が、なぜ入らないのか不明です。三番目に目黒不動を入れました。
成田山新勝寺
間違いなく不動明王信仰で一番の寺院は、真言宗智山派の大本山・成田山新勝寺です。
少なくとも5回参拝しています。
関東36不動霊場の第36番札所です。
この日は御本堂で末寺や分院のご住職が集まり、会合を行っていました。
知っている方が受付しようとしていましたが、邪魔にならないよう声をかけずに御本堂参拝です。
成田山は平将門調伏の御祈願で有名なお寺です。
このため子孫や神田明神の氏子・信者は、成田山には詣でることはありません。
しかし、平将門公の子孫(先祖の平良文が甥である将門公の養子となった)・千葉常胤が文治4年(1185)に成田山本堂を再建しているのです。
高田崇史(たかだたかふみ)氏の「QED~ventus~御霊将門」を読み、長年の疑問が解けました。
是非読んでみてください。
ブログlink「鬼門の将軍」高田崇史著 平将門公は怨霊では無かった!
門前街が開けています。
昼食にウナギを食べ、土産物屋覗きながら帰りました。
成田山新勝寺 千葉県成田市成田1 地図link
高幡不動金剛寺
真言宗智山派・別格本山です。
京王線と多摩モノレール高幡不動駅からすぐの場所にありますので、気軽に参拝できます。
大宝年間(701 – 704)に行基菩薩が開創致しました。
不動堂には気軽に参拝できますので、この日は仲間と小さな声でお経をお唱え致しました。
関東36不動霊場の第9番札所です。
新選組副長・土方歳三の菩提寺です。
銅像が境内にありました。
40年程前には、この近くに住んでいたことがあります。
懐かしい場所です。
参拝するならば、紫陽花の頃が良いでしょう。
高幡不動金剛寺 東京都日野市高幡733 地図link
目黒不動瀧泉寺
慈覚大師の創建で、徳川三代家光の崇敬を受けて寺域の拡張と大伽藍の整備がなされました。
関東36不動霊場第18番札所です。
池波正太郎の作品「鬼平犯科帳」「仕掛人・藤枝梅安」に目黒不動の場面が何度も書かれています。
江戸でも多くの参拝者で賑わい、門前町も発達しました。
現在は門前町はないようです。
裏の墓地に青木昆陽の墓があります。
毎年10月28日が「甘藷まつり」が行われていますが、私が参拝したのは26日でした。
寺の境内には露店も出るようです。
目黒不動瀧泉寺 東京都目黒区下目黒3-20-26 地図link
髙山不動常楽院
白雉5年(654)の創建と伝えられています。
参拝するにはマイクロバスでも難しいと思います。
この日は数多くのハイカーが訪れていました。
高山不動 常楽院 埼玉県飯能市高山346 地図link
不動ヶ岡不動尊總願寺
智証大師作と伝えられる不動明王像が御本尊様です。
4年前に参拝しています。
節分会の参席者の名前が飾られていました。
デヴィ夫人や先日なくなった渡辺裕之さんの名前もあります。
関東36不動霊場の第30番札所です。
年間色々な行事が催されています。
当寺(円泉寺)に参拝に来られた方が、骨董市で面白い物を手に入れたと話していたことを思い出します。(毎月第4日曜日)
埼玉県加須市不動岡2丁目9−18 地図
雨降山大山寺
天平勝宝七年(755)に良弁僧正が開創しました。
江戸時代には大山詣でとして、多くの人で賑わっています。
しかし廃仏毀釈の為に、寺は大山阿夫利神社とされてしまいました。
その後、明治6年に現在の場所に仮小屋を造り、明治18年に御本堂などが竣工されています。
急勾配の階段はありますが、近くまでケーブルカーが来ていますので、私でも気軽に参拝できました。
関東36不動霊場の第1番札所です。
17年前ですが、伽藍整備ために浄財を集めていましたので、僅かですが納めさせていただきました。
大山寺 神奈川県伊勢原市大山724 地図link