かつて北側にある華蔵寺が別当で、聖天宮があり修験・壽命院が社人でした。
廃仏毀釈後、横瀬神社となっています。
祭神は伊弉諾命・伊弉冉命と豐受姫命を祀りました。
しかし、華蔵寺は新田氏関連ですが、横瀬神社は武蔵七党の横瀬氏の創建です。
横瀬の地は秩父の横瀬からの移住に始まるそうです。
華蔵寺と同じく、当地は永禄年間(1558-70)の洪水で、上野国から武蔵国に編入されています。
建武年間(1334-36)に新田義貞の孫である国寿丸が聖天宮として再建しています。
華蔵寺秘仏の歓喜天像が御本尊だったのでしょう。
国寿丸は後に横瀬新六郎貞氏と名のり、上野国金山城主となっています。
拝殿の額は、渋沢栄一の筆によります。額の右脇の写真は渋沢栄一です。
稲荷社
神社の北側が華蔵寺です。華蔵寺ブログlink
横瀬神社 埼玉県深谷市横瀬1358 地図link