川崎平右衛門の陣屋跡があることを知ったのは、今から50年以上前のことだったとおもいます。
聞いてはいても場所を確かめようとしていませんでした。
武士中心で開墾された治水工事、新田開発などが効果を上げられなかったために、幕府は府中の名主として実績のある川崎平右衛門を代官として派遣しました。
日本各地で成果を上げています。よく知られる二宮金次郎のような方だったのです。二宮尊徳資料館ブログlink
また石見銀山でも高い評価を出しています。
ここの祠の中には武蔵野御救氏神川崎大明神と彫られた石祠が祀られています。
新田が開発されて農作業に従事したくとも、あまりの貧しさため外に出られなかった女性に、古着を与えたと聞いたことがあります。
ここの石祠は寛政十(1798)年に平右衛門の遺徳を追慕して建立されています。
現在の敷地より更に広い面積でした。発掘により堀後が発見されています。
鶴ヶ島中学校南端の日光街道反対側が陣屋跡近くです。
手前の道路から入ると近くにあります。
川崎平右衛門のお墓は府中市の龍光寺にあり、銅像は府中市郷土の森に建てられています。
川崎平右衛門陣屋跡 埼玉県鶴ヶ島市高倉1227 地図link