上記の案内板に
「深谷城は、唐沢川、福川などに囲まれた湿地に築かれた平城である。
室町時代中期の康正2年(1456)、深谷上杉房憲が、古河公方の侵略に備えて、築城したと伝えられる。
土塁や深い壕を巡らした城は、面積20ヘクタール、その形から木瓜(うり)城とも呼ばれた。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の関東攻めによって開城するまで、憲清、憲賢、憲盛、氏憲と、134年にわたり、戦国時代の北武蔵における上杉方の支城であった。
徳川家康の関東入国後は、徳川一族や譜代家臣の居城であったが、寛永11年(1634)、廃城となった。
現在は、深谷上杉氏の祈願社であった富士浅間神社(智形神社)の社殿を巡る池と水路に、往事の姿をとどめるのみである。」
とあります。
現在の石垣は、当時の物でないと思います。公園にする為に新たに作られたのではないでしょうか。
深谷城址公園の案内板をみると、かつての深谷城と異なる地形です。
今は秋ですので、咲いている花を見かけませんでしたが、藤の咲く頃は見事なのではと思います。
子連れの母子が何組も遊んでいるのを見かけます。
深谷市民文化会館、深谷市保健センターがL字形にありました。
何の建物かは分かりませんが、藤棚の脇に日本家屋もあります。
南側入口の石垣です。
隣の富士浅間神社です。ここも城跡です。
深谷城址公園 埼玉県深谷市本住町17 地図link