浄土宗 白蓮寺
白蓮寺(びゃくれんじ)は 源勝院のすぐ北にあります。(源勝院の阿部家は江戸期に1万石の大名となっています。)
源勝院は岡部藩主の墓がありますが、白蓮寺は信勝(墓は大阪市の鳳林寺)の母を祀っています。
信勝が天正18年(1590)に母堂を伴い移住して間もなく母は急逝しました。
当時は安部家の菩提寺がありませんでしたので、法名にちなみ白蓮寺を開基しています。
しかし、岡部六弥太忠澄の童・内村太五平が文永元年(1264)に亡くなり、寺に残る過去帳の初筆に記載されています。法名・鳳道上座です。
田子の地名や田五平物見塚跡などもあるようです。
武蔵資料銘記集によると、応永5年(1398)に岡部聖天宮(現・岡部神社)には、多胡殿庵にて執事長良俊が書写した大般若波羅蜜多経六百巻が収められたと伝えられています。
岡部家一族関連の寺として、多胡殿庵が白蓮寺の前身ではないかと伝えられています。
白蓮院墓は戦国末期の形で、角閃石安山岩を使用しています。
手前の道を西に行くと、岡部神社です。
白蓮寺 埼玉県深谷市岡部653 地図link
岡部神社(元聖天宮)
岡部神社(元聖天宮)は岡部六弥太忠澄や岡部藩主・安部(あんべ)家の祈願所でした。社殿には今も歓喜天が祀られています。
岡部町は平成18年(2006)に深谷市に編入しました。
岡部神社 埼玉県深谷市岡部705 地図link
岡部六弥太忠澄墓
岡部神社から、さらに約600メートル西に行くと、源平盛衰記で知られる岡部六弥太忠澄之墓があります。地図link
菩提寺の普済寺
忠澄は源頼朝と共に木曽義仲、平氏を討ちました。
一ノ谷の合戦では、平忠度を追討しています。
深谷市萱場の清心寺には岡部忠澄が建立したの平忠度供養塔があります。清心寺ブログlink
先祖は小野妹子で、岡部氏子孫は各地に今も続いているようです。徳川幕府の旗本となった家系もあります。杉並区の地名となった杉並木を造ったのは旗本となった子孫の方だそうです。