妙英寺は天正二年(1574)に鳥山但馬守繁雄の開基と伝えられています。
繁雄は金山城主・由良成繁の弟で、鳥山城主でした。
梵鐘は江戸初期の物で、古の鎌倉時代の特色を残しているのだそうです。
寛永四年(1627)に下野国佐野の大田佐兵衛と野村平左衛門によって鋳造されました。
寄進者は鳥山の天竺次郎右衛門繁房で、金山城主・由良国繁の家臣でした。
繁房は金山城廃城の後に帰農しています。
本堂・庫裡・門・閻魔堂・土地を繁房は寄進しています。
御本堂西側には閻魔堂があり、閻魔大王十王像と弁財天15童子像が祀られていました。
向かって右側には、新しい七福神石像が、左側には姫子稲荷が祀られています。
姫子稲荷の由来は不明です。
妙英寺 群馬県太田市鳥山中町789 地図link