奈良時代に古くから朝鮮半島から渡来した高麗王寂光や一族郎党、さらに他の国に住み着いていた渡来人が、現在の埼玉県日高市を含む高麗郡に集められました。
更に後には寂光の末裔達が勝呂の地区にて農地を開墾し入間群の中心地として栄えました。高麗王寂光ウィキペディアlink
勝呂氏は高麗王寂光の末裔だったと思います。
勝呂神社は大きな円墳の上に建っています。神社の記録によれば、四道将軍の一人である建渟河別命(たけぬなかわけのみこと)が葬られていると伝わっています。
ここに寛和2年(986)に加賀一宮・白山比咩神社の分霊を勧請しました。
厚着でいると昼頃には暑いくらいです。
神社には複数の方が参拝していました。かなり熱心な方もいます。
主祭神として菊理姫命・伊邪那岐命・伊邪那美命を、配神として建渟河別命・豊城入彦命を祀っています。
勝運の神と言われているようです。
拝殿前には、おみくじや絵馬が置かれています。
脇の絵馬掛けには、勝運招来の絵馬が掛けてあり、受験シーズンですから高校合格の文字などが書いてありました。
ここの勝運霊跡は、古墳の石棺の一部のようです。
神楽殿
お水屋
御朱印は東隣の藤神授与所で受け付けています。
勝呂神社 埼玉県坂戸市石井226 地図link